fmmkblg

| LOVE | TOPIC | LOG | LINK | ME | OTHER |
#スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

2017.01.09 Monday ... - / -
#犯人あて
4人で上下巻にわかれたミステリーの上巻だけを読んで、犯人と下巻の展開を当てるゲームをする夢を見た。上巻を早く読み終わったら、それはそれでポイントがもらえる。いつかやりたい。
2016.12.06 Tuesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#知らなくなった町
ちょっと前のことだけど、彼女が自転車を買った。ママチャリとかじゃなくて、割といいやつ。最近はそれを借りて買い物に行ったりふらっとどこかに出かけたりしている。

この前、適当に自転車を漕いでいるうちに、むかし住んでたところに行ってみようと思って行った。14年前、大学に入った年に1年間だけ住んでいた町。大学はキャンパスが1年半で変わるところだったので、最初の1年だけそこに住んで、あとの3年はまた別のところに移った。

忘れていたことと、いまでも思い出せることがあった。厳密に言えば、思い出せるというより記憶を取り戻すというのに近い。むかしからある小さな本屋(見るまで忘れていた)は、まだ潰れずに存在していた。よく通っていた家の近所のレンタルビデオ屋は、もう跡形もなくなっていた。確かこの居酒屋でサークルのみんなと飲んだ気がする。そういえばよくここで買い物していた。マクドナルド、むかし2階がなかったっけ? 確かこの銀行で口座つくった。このドラッグストア、引っ越してきてすぐのころは小さなダイエーがあったところで、引っ越してきて割とすぐに潰れたんだよな。あそこにあったTSUTAYA、やっぱりもう潰れたのか。などなど。いちばんの大きな変化は、大学のキャンパス自体が、もうすっかりなくなってしまったことだった。

そこに住んでいた1年間は、なんだかずっと居心地が悪かった。町がずっとよそよそしかった。部屋は狭くてつまんなかったし、なにもしてないのに隣のオヤジからうるさいと苦情を言われたこともあったので、早く引っ越したかった。いきなり大きな服を着せられて、着慣れないまま1年が過ぎたような感じだった。

1年しか住んでいない町は、もうすっかり知らない町になってしまった。大学のないこの町に、学生なんてもうほとんど住んでいないのだろうし、そういった息吹も少しずつ失われてしまうのだろう。もとからあんなによそよそしかった町が、どんどん遠ざかっていく。淋しいけど、それでいいのだと思う。愛着がない町だと思っていたけど、思い出はちゃんとあって、町の姿は変わっても、思い出せることはまだある。
2014.10.12 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
#Kと彼の人生
高校2年のときクラスにKという不登校の生徒がいた。1年のときから同じクラスだったやつによれば、1年の途中からあまり学校に来なくなったらしい。僕が行っていた高校は市内でも一二を争うレベルの進学校で、文武両道を掲げてはいたものの勉強第一というのがそこここに滲み出ていたので、正直高校生活はとてもおもしろいと呼べる代物ではなかった。だけど、義務教育ではないとはいえ自分で選んだ高校でもあるので、合格した以上、そこに通うのは義務だと思っていた僕は、Kが学校に来ないのをあまり快く思わなかった。いまにして思えば、自分は耐えてるのになんでKはそれから逃げていいことになってるんだという、完全な八つ当たりだったのだけど。

僕たちの高校は体育祭が9月の下旬に行われていた。7月後半から8月は夏休みということにはなっていたものの、そこは進学校、実質の休みは2週間弱で、それ以外は課外授業があった。8月下旬になるとその課外になぜか体育祭の練習も組み込まれ始めた。Kはそのころからちょくちょく学校に来るようになった。Kは端正な顔立ちをしていた。

体育祭の練習かなにかでKと同じグループになり、そこで初めてKと喋った。Kは別に無口でもなんでもなく、1年のときに同じクラスだったクラスメイトとよく喋っていた。こいつ別に暗いやつじゃないんだな、と思った。Kは体育祭の練習だけはたのしそうだった。別に運動が得意とかそういうわけでもなかったのだけど。話してみると案外悪いやつじゃなさそうだし、なんでこいつ学校来ないんだろ、別にこうやってふつうに喋れるのに、と不思議に思った。Kと話すのはたのしかった。

体育祭が終わって、またKはぱたっと学校に来なくなった。それから1か月くらいたった後、担任がホームルームで、Kが正式に学校を退学したことを告げた。

その週末にKの家に電話をした。たぶん辞めてびっくりしたとかなんで辞めたのみたいなことを言ったんだと思う。するとKはシンプルに「学校さあ、たのしい?」と訊いてきた。僕は正直に、たのしくないと言った。だから辞めたの。それだけ。とKは言った。

それからもたまに電話していたのだけど、いつの間にか電話もしなくなった。メールがあればまた違ったのかもしれないけど、当時まだ携帯を持っているひとなんてそんなにいなかったし、こういう関係は無理につなぎ止めなくていい類のものだったから、たぶんこれでよかったのだと思う。

3年に上がったとき、KはSさんと付き合っていたという噂を聞いた。それがうまくいかなかったから辞めたとかなんとか、根も葉もないうわさ話が聞こえてきた。友人のTからその話を聞かされたとき、どうでもいいよそんなの、と言った。

折にふれてKのことを思い出す。Kはあのあとどうしたのだろうか。高校に入り直したのだろうか。働き始めたのだろうか。それとも、なにもしなかったのだろうか。たぶんたまにKのことを思い出すのは、Kが「あのとき僕が選べなかった選択肢を選んだ」存在だったからだ。あれから僕はいくつかの選択肢をこのように選んできて、結果としていま割としあわせと思えるのだけど、Kもいましあわせなんだろうか。できればしあわせでいてほしい。なにを選んでも、結局はしあわせに行き着いてほしい。流されるのではなく「自分で選択する」ということが、しあわせにつながっていてほしい。

先月急に退職してしまったGさんに連絡しようかどうしようか。このところずっと迷っている。なかなか電話をかけられずにいる僕は、15年くらい前にKに電話したときのことを、最近よく思い出している。かけられる言葉なんて、相変わらずなんにも持っていない。
2013.10.09 Wednesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#リメンバランス
去年の春ふと思い立って4泊5日の旅に出た。断片的にしか覚えていない生まれ育った街を見て回ろうと思って。その間、繁華街からちょっとだけ離れたところにあるゲストハウスに泊まっていた。そのゲストハウスはよく噴火する山が見える海沿いにあった。

そこで寝泊まりしながら日雇いのバイトを探しているひと、その日から住み込みでゲストハウスで働き始めたひと、半年くらい前からそこで暮らしている、絵を描いているらしいひと、普段は離島で暮らしているのだけど出産のためにこっちに来て、子どもが産まれてくるのを待っているひと、よくわからないひと、外国のひとなどたくさんいた。共同生活が不慣れな僕でも案外居心地よく思えて、滞在期間の後半はやることもあまりなかったから昼過ぎにゲストハウスに戻ってきて、ラウンジでビールを飲みながらそこにあったギターの練習をしたりマンガを読んだりしていた。

ふと、そのゲストハウスのことを思い出した。

あの時点で半年くらい暮らしていた絵描きらしいひとも、きっともうあの宿を去っているだろう。僕が泊まりに行った日から住み込みで働き始めたあのひとも、たぶんもういないだろう。あのひとはきっと無事に出産を済ませて、その子ももう1歳になっているんだろう。名前なんか知らないし、顔すらよく覚えていない彼や彼女たちは、いまごろどこでどうしているのだろう。たぶんもう二度と交わることのないゆるやかな接点がいまなんとなくなつかしくて恋しい。また会いたいとかそういうことではなくて、もう二度と取り戻せないということを意識したいだけ。
2013.05.15 Wednesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#すきなはなしひとつ
高校のころ気胸(肺に穴があく病)になって3週間くらい入院していた。病室は4人部屋で、僕以外はみんなご年配。そのときの隣のベッドにいたじいさんが話してたはなし。

手術中、麻酔が効いているなかで、不思議な夢を見ていた。身体がふわーっと軽くなって、空にのぼっていって街を見下ろしている。身体が上に行けば行くほど気持ちがよくなる。気持ちいいなあと思いながら空をのぼっていくと、とてもきれいなところについた。大きな池がある。蓮の花が咲いている。気持ちよさにまかせて池の向こうに行こうとすると、奥さんが呼ぶ声が下のほうから聞こえてきた。何度も何度も呼ぶのでうるさいなあと思いながら、なかば身体を引きずるようにして下に戻ろうとしたところで目が覚めた。

後から聞いたところによると、手術後もしかしたらこのまま息を引き取るかもしれないという状況だったらしく、そんななか夢の中で奥さんの呼びかけにいやいや応じたことで一命を取り留めた、とのこと。

僕はその話を夕日が差し込んでくる時間帯に聞いてて、その光景をいまでもたまに思い出す。
2013.04.20 Saturday ... comments(0) / trackbacks(0)
#サンタクロースの思い出
いやいや出勤している事務所では濁った目で仕事をしているので、「クリスマス似合いませんよね」などと言われ、挙げ句「子どものころからサンタとか信じてなさそう」などと言われる始末の僕でも、結構大きくなるまでサンタクロースの存在を信じていた。

小2のころだったと思うけど、その年はほんとうに欲しいものがなく、サンタにマジほしいもんねえから今年はいいわ的な手紙を書いたのだけど、そしたら25日の朝に、まあほしくなかったけどあったらあったで遊ぶわ的なおもちゃが置いてあって、そこにサンタからの手紙が添えられていた。小2の子どもにとっては未知の言語:英語、それも筆記体でさらさらと書かれた文章のしたに、すべてひらがなとカタカナで構成された日本語でこう書かれていた。

「サンタはにほんごがわかりません」

小2ながらさすがに「にほんごがわかりません」と日本語で書かれた矛盾には気付いていたけど、そこは子ども、きっと通訳的ななにかがどうにかこうにかしたのだろうと解釈し、矛盾に目をつぶった。

数年後。サンタクロースからの手紙を久しぶりに見つけたのが小5になったある日のこと。なつかしいなあと思って読み返したら、それが母親の筆跡であることに気付いた。

みなさまよいクリスマスをお過ごしください。
2012.12.24 Monday ... comments(0) / trackbacks(0)
#新幹線の思い出
久しぶりに新幹線で出張。広島まで。新幹線の出張で思い出したことがある。鹿児島の両親のことだ。血がつながっていない鹿児島の両親。

もう3年近く前のことになるけど、3月に神戸に出張に行くことになった。同僚とふたりでだったのだけど、指定席だったので別々の席で、僕は3列のシートのいちばん窓側の席だった。

僕の席の隣ふたつに老夫婦が座っていて、大きな荷物を持っていた。僕が座る席にも荷物を置いていて、申し訳なかったけど指定席だったので、「すみません」と声をかけて奥の席に座った。ご主人がちょっと不満そうに荷物をどけた。なんだかすごい量の荷物でスーツケースもあったので、僕はコートをフックにかけずに、その老夫婦に使ってもらおうとした。そして、「なんだかすいません」となんとなく謝った。

それから簡単な会話が始まる。その老夫婦は鹿児島から来ていて、大阪に、ご主人の弟さんのお葬式に行くところだった。鹿児島と聞いて、僕もむかし鹿児島に住んでたんですよ、という話をした。僕が住んでいた町にその老夫婦の息子さんのご家族が住まわれているということで、そこから一気に話が弾んだ。さっきちょっと不機嫌そうな顔を見せたご主人も、「あんたビールいらんかね」とまで言ってくださって、「ごめんなさい、今から仕事なので飲めないんです……飲みたいんですけど」と断った。

神戸までの2時間ちょっと、僕たちはずっと話しっぱなしだった。神戸間際になって、連絡先を交換した。奥さんが僕を「おともだち」に登録すると言った。僕も「おともだち」のカテゴリに登録することになった。住所も交換した。新幹線を降りる間際に、「私たちのことをお父さんお母さんと思って」と言ってくださった。「いやー、実の両親以上にお父さんお母さんだと思いますよー」と言って別れた。手みやげをたくさん持たされた。神戸で合流した同僚が驚いていた。

ということで、僕には3年前から血のつながっていない両親ができた。たまに果物を送ってきてくれる。手紙を書くこともある。母の日に電話をしたりした。4月に鹿児島に行ったときに久しぶりに再会して、いろんなところに連れて行ってもらった。

今日はそういう出会いはないみたい。よくよく考えてみると、そういう出会いがある方が奇跡だ。いまは徳山を通過している。右手に工場が見える。もうすぐ広島に着く。仕事して、憂鬱が飛んでいけばいいと思う。
2012.12.02 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
#夢日記を見つけた
10年以上前に書いていた夢日記を見つけた。2冊あって、ひとつは予備校に通っていた時代、もうひとつは大学の2〜3年になる春に書いたものらしい。

<予備校編>
予備校時代の僕は、やはり予備校にしか行っていなかったこともあって「強制自習」だとか「夏期講習」だとかそういう夢ばかり見ていた。あとなぜかやたらと食事会に参加していた。お腹がすいていたのだろうか。アメリカとか宇宙とかにも行っていた。あと、追いかけられる系の夢も多かった。現実から逃げたいけどできないのが伝わってくる。

7月28日(水)
ベッドに寝転がって、机の上に置いてあるテレビから流れるピロウズのプロモを見ている。
とそこに高校時代の古文の先生が。
寝転がってプロモを見ている俺に、やたらと難しい古文の文法問題を出してくる。周りの人にもあてまくる。
みんな不快。

8月1日(日)
スクウェア(註:現スクウェア・エニックス)が開発した「学校変形型ロボット」にのりこんでいる俺たち。そこでシャ乱Qのラジオ番組の公開録音をみに行く。
「いつも通りメンバー7人そろってます」と言うシャ乱Qのみなさん。


<大学編>
大学も3年になろうかという僕は、それなりに学生生活を謳歌しているらしく、あんまり追いかけられたりしていない。登場人物も大学の友達や高校で別にさほど仲がよかったわけでもないのにやたら出てくる野球部のやつなどが増え、バリエーションが豊かに。ただ、あまりリアルではない設定が多く、よく裸にもなっていて、あとよく争ったりもしていて、このころはなんかおかしかったんでしょうね。

3月27日(水)
夏に使った体操服を他人のカバンにずっと入れっぱなしに。
かなり困っていたとのこと。そりゃそうだ。
ごめんなさいと思いつつ、取り出す。大してくさくない。
仕方がないので下半身だけすっぱだかでマラソンに出る。
本屋の2階で知らん女にちんちんのことでいろいろ言われる。
「人の苦労も知らないで……」とキレて、初めて人を殴る。

3月28日(木)
何故か××さんとデートをすることになっている俺。
××さんの友人とか予備校のひととか夏でも寒い映画館とかに邪魔されながらも、それなりに難関をくぐりぬけてゆく。
カラオケに行くころには何故か全裸になってしまっている俺。

3月30日(土)
おじいちゃんちに井川遥と婚約者が来る。(註:僕は井川遥が大好きです)
漬け物を漬けているため、静かにしていないといけないのだが、なんだか悔しくて、犬と本気でケンカをして怒られる。

自分ひとりで楽しむための夢日記なのに、文章から滲み出る自己顕示欲というか承認欲求というか、そういうのを感じてなんかちょっとくすぐったかった。
2012.11.13 Tuesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#まだ思い出せる
祖母の家から帰る間際に、じいちゃんのなにかない? と訊いて、祖父の手帳を見せてもらった。祖父は4年前の6月に亡くなったのだけど、その年の1月と2月の途中まで日記が書いてあった。2月14日を最後に何も書かれていなかったけど、バレンタインデーになんかあったの?

その年の5月に、なんかおなかの調子が悪いと言って検査入院して、その10日後くらいには、もう手の施しようのない癌だとわかって、それから2週間くらいして亡くなった。

1月には祖母が体調不良で1か月ほど入院していた。そのお見舞いに行った、元気そうでよかった、などが書いてあった。2〜3日ごとに祖母のことが書いてあった。祖父は祖母を愛していたのだなあと思った。玉屋さんに行った、少し勝ちました、と書いてあって、はて玉屋さん? と思ったけど、パチンコのことだ。

手帳はひとりで読ませてもらったのだけど、祖父の写真が目に入って、まじまじと見て少し泣いた。涙は左目からしか出ない。僕の右半身はなにか違う要素でできているのかもとたまに思う。10年くらい前の同窓会のときの写真だけど、祖父は穏やかに笑っていて、なんだかまだ生きているような気がした。僕はまだ祖父のことをきちんと思い出せる。でもいつかその記憶も薄れる日が来るのだろうな。
2012.11.10 Saturday ... comments(0) / trackbacks(0)
#光ってもいない
1985年に行われたつくば博で「ポストカプセル郵便」というものをやっていた。これは、投函したらその手紙を2001年に届けますよというもので、父方の祖母がこのころ千葉に住んでいたので、万博の最終日にふらりと行って、僕宛てにはがきを書いていたらしい。

当時は郵便番号が5桁ですんでいたのだけど、2001年には郵便番号は7桁になっていて、僕は1985年に住んでいた鹿児島にはおらず、年号も平成になり、いろいろなことが変わってしまった。およそ届く可能性のほとんどない手紙が僕の手元に届いたのは2008年のこと。実際には2001年に届いていたみたいだけど、母が僕に見せるのをすっかり忘れていたらしい。

2001年は僕がはたちになった年で、祖母はそのころの僕を思い描いてはがきを書いていた。内容はこんな感じ。

成人おめでとう
2001年に 届くという この葉書を
今 つくば万博会場で 書いています
おばあちゃんが 2001年迄元気で
いたら あらためて おめでとうを
云います
いつまでも キラキラ光って 生きて
下さい

S60.9.16(月)
つくば博最終日
会場にて

おばあちゃんより

このはがきとは別に、もう一通手紙が入っていた。2001年の祖母からの手紙だった。15年前半信半疑で投函したこと、2001年になってお互い元気でおめでとうを言えること、鹿児島と千葉の郵便局員の方が何度も連絡を取ってくれて配達にこぎつけたことなどが書かれていた。

祖母が思い描いていたほどいまの僕はキラキラ光ってもいないし、祖母孝行もできていないし、なんだかどんどん未来だけがなくなっていくような暮らしをしているけど、僕は案外いまを気に入っている。
2012.10.24 Wednesday ... comments(0) / trackbacks(0)
| 1/2 | >>