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2017.01.09 Monday ... - / -
#さよならガールフレンド
ツイッターで高野さん(@chapter_22)という方をフォローしている。マンガを描かれている方で、コミティアで本を出したりもしている。発表された作品のいくつかは、高野さんのサイトで無料(最高!)で読めたり、リルマグで買えたりする(完売したものが多いけど)。

1年くらい前のことだったと思うけど、フィールヤングという雑誌に読み切りが載りますという告知をされていて、おお、と思ったものだった。フィールヤングは女性向けのマンガ雑誌だけど、手に取るのはあんまり抵抗がないタイプのものなので、堂々と、立ち読みした。買わなかった。立ち読みした。冬の本屋。たしか、スーパー銭湯に行った帰り。外は寒いけど身体はほかほかで、火照った身体がいい感じに冷めてくるくらい歩いたところにある本屋で、ああ、いいなあと思いながら読んだのを覚えている。けど買わなかった。立ち読みで満足した。

その高野さんが、1月8日にとうとう単行本デビューした。「さよならガールフレンド」というタイトル。タイトルがとてもよいと思う。九州は本の入荷が2〜3日遅いので、まだ買えていない。Amazonとかでも買えるけど、できれば書店に並んでいるところを見たい。手に取って、レジに持って行きたい。

高野さんの絵は、とても落ち着いている。みんな目がギラギラしてなくて、そこがいい。とても海賊王になったり世界中に散らばった7つの球を集めたりしそうにない。高野さんは平熱をきちんと描いている方だと思う。

前にもここに書いたことがあると思うけど、好きな海外の作家でニック・ホーンビィというひとがいて、彼は「ソングブック」というエッセイで「何も起きないような日常を描きながらも、登場人物たちの心のどこかでは変化が起こっているということを、読者に伝わるようにしていなければ、小説としてだめ」ということを書いている。高野さんの作品には、そういう機微がある。

僕は個人的な嗜好としてもオムニバスがすきなのだけど、高野さんの作品にはオムニバスも結構ある。ある共通のモチーフでゆるやかにつながっている小品たちが、日常の輪郭をほんの少し膨らませて見せてくれる。それが、いやらしくないのがとてもいい。

作者でもないのにツイッターで「さよならガールフレンド」と検索しては、反応を見てしまう。概ね好評のようで、ああよかったなあと思うのと同時に、すごい遠い存在になったような感じにもなる。tofubeatsがメジャーデビューしたときもなんかこんな気持ちになったな。でもまあ、いい作品が売れるのはとてもいいことだと思う。「なし水」や「わいわいやろうぜ」なんかのときにも思ったけど、単純に、いいものが売れるという、そういうシンプルさが最近少しずつ加速してる気がする。この本も、増刷されるくらい売れてほしい。

そういえば、そもそも高野さんをフォローしたのは、たぶんtumblrの方がきっかけだったような気がする。おもしろいツイートを引用してリブログするひとがいるなあと思ったら、そのひとのアカウントが「chapter22」だったので、おお、と思ったのだった、たしか。これまた好きなバンドでLuminous Orangeというのがあって、そのバンドの曲に「chapter22」というのがある。たぶんこのひとルミナス好きなんだろうなと思ってtumblr見たら、ルミナスのアルバムかなにかのタイトルを拝借しましたみたいなタイトルが付けられていて、やっぱり! と思った。それでツイッターも同時期にフォローしたのが始まりだったと思う。ルミナスの曲からタイトルが付けられたマンガは、まだなかった気がする。

とにもかくにも高野さんの作品はとても素敵なので、多くのひとに読んでほしい。
2015.01.10 Saturday ... comments(0) / trackbacks(0)
#ア・ロング・ウェイ・ダウン
ニック・ホーンビィのひさしぶりの新刊「ア・ロング・ウェイ・ダウン」を読んだ。

ホーンビィの「ハイ・フィデリティ」がものすごく好きなのだけど、そのあと出た小説はどれもあんまりピンと来なかった。ホーンビィ(と訳者)の筆致が好きで、それは、ごく普通の、ありふれた、そんなに強くないひとたちをやさしい視点で丁寧に描いていたからだった。ホーンビィにダメ人間を描かせるとそれはもうとにかくすばらしいのだけど、思うに「ハイ・フィデリティ」のあとの小説に出てくる人物は、そんなにダメ人間というわけではなかったからピンとこなかったのかもしれない。4年くらい前に急に出た「ガツン!」という小説は、15歳の男の子が主人公で同世代の女の子を妊娠させてしまうという話で、まあまあダメ人間だったからおもしろかったけど、何度も読み返したくなる感じじゃなかった。これは今度はフィクション色が強かったからかもしれない。ホーンビィが描く、もう若くはないダメ人間の哀愁がとても好きなのだと気付いた。

「ア・ロング・ウェイ・ダウン」は、大晦日の夜に、ロンドンの自殺の名所であるトッパーズ・ハウスから飛び降り自殺しようとしたひとがたまたま4人も鉢合わせしちゃうという話。人生の落伍者(というわけでもないのだけど)が4人もいるので、もうそれだけでホーンビィの真骨頂という感じがする。ホーンビィの作品は訳者がいつも森田なんとかさんというひとで、このひとがホーンビィ同様の音楽好きなので、ホーンビィが小説にちょくちょく挟んでくるマニアックな音楽の話やなんかをきちんとニュアンスが伝わるように訳していたのだけど、今回訳者が変わってて、はじめのうちはちょっと馴染めなかった。下手ってわけじゃないんだけど。英語なりの言い回しだから成り立つ慣用表現が、そのままカタカナで訳してあったり。そういうのって日本語に置き換えたらこうなる、みたいなのを森田なんとかさんはうまいこと見つけてきてたので、でもまあそのへんは好き嫌いというか好みの問題か。

450ページくらいある本だったのだけど、350ページくらいのところから登場人物たちがこの生活(大晦日からの一連)の終わりについて考え始める描写があって、それを読んでとても淋しくなった。物語が終わる、小説を読み終えるというのが淋しい気持ちになったのはひさしぶりだった。いい小説は読み終えたいけど読み終えたくないという矛盾した気持ちになる。たいていそういう本は、読み終えてよかったと思える。淋しかったら何度も読めばいいのだ。「ア・ロング・ウェイ・ダウン」の登場人物たちも、たぶん彼らなりのハッピーエンドのひとつに辿り着けていて、ホーンビィが描くそういうやさしい話が、俺はとても好きなんや!

余談だけど昨日園子温の「希望の国」を観て、結構期待してたのに、観終わってからなんか嫌いな映画だったなって思った。園子温自体が嫌いになりそうだった。希望とか絶望とか簡単に描いちゃいけないと思う。だいたい日本が経験した絶望を映画でフィクションとして追体験させるとしたら、そこにめちゃくちゃ意味がないといけないと思う。この映画で魂の救済をするんだくらいの、めちゃくちゃ重い気負いと、それに見合う結果があるべきだと思う。観終わったあと予告編を観たら、「社会派エンタテインメント」とか書いてあって最悪だなって思った。まあ園子温が自分で言ってるのかどうかはわかんないけど。でも自分で言ってたらほんと最悪だな。希望とか絶望とかは、もうエンターテインメントにしていい時代は終わったんだよ。それに、希望っていうのは日常と地続きのところにあって、案外コンビニとかマックとかTSUTAYAとかそういうところで見つかったりするんだ。「エイトレンジャー2」の方がよっぽどエンターテインメントで希望だよ。知らんけど。

いまググったら園子温去年芸人になるっていって座・高円寺で漫才したらビートたけしにものすごく怒られたということを知って、ちょっと嫌いさが薄れた。ウケる。
2014.07.26 Saturday ... comments(0) / trackbacks(0)
#切間屋!
仕事が佳境なんだけど別に忙しいわけじゃないから最近はちゃんと本読んでる。珈琲店タレーランの事件簿。3冊出てるんだけどさっき全部読み終わった。タイトルからもわかる通り、珈琲店のタレーランを舞台に、なにかしらの事件を解く話。タイトルからもわかる通り、コーヒーが主要なアイテムとして出てくる。それどころか、登場人物のほとんどがコーヒーにちなんだ名前だったりする。あからさますぎてすごい。2巻で満田凛(まんだりん)という人物が出てきたときには、寝転がって本読んでたけど膝から崩れ落ちた。しかもこの満田凛が出てきたあとの文章が「なに、アオヤマくん。マンデリンが何だって? 私のかわいい後輩を、インドネシアのコーヒー豆みたいに言うのはやめてよね。」だったので立ちくらみがした。終始こんな感じ。早めに申し伝えておくと、3冊ともおもしろくない。

ネットでよく見かける感想としては「ラノベとミステリーの中間」というのが多くて、とてもうなずける。さらっと読める。謎解きと言ってもとんちみたいなレベルのが多くて、ショボっと思ってしまうのだけど、ミステリーのジャンルとして「日常の謎」と呼ばれるものがあるらしく、タレーランもそれ。解かなくてもいいようなレベルの問題を、女性バリスタ切間美星(きりまみほし)が華麗に解いていく。謎を解くときの一連のお決まりの所作があって、手引きのミルでコーヒー豆を挽いたあと「この謎、大変よく挽けました」と言う。「謎ってレベルかよ」「豆挽く意味あるのかよ」「挽いたんならコーヒー淹れろよ」「一連寒いよ」と思ってしまう。これがとてもくせになる。おもしろくなさがたまらない。もう美星がミルで豆挽き出したら、「待ってました!」「成田屋!」みたいな感じになる。「この謎、大変よく挽けました」「音羽屋!」みたいな感じ。あと、主人公のアオヤマくんが「んぐぁ」と喉から変な音を出す描写も頻出していて、「んぐぁ」「中村屋!」みたいになる。

タレーラン、さらっと読めてほんとにおもしろくないのでおすすめ。4巻も出たら読みたい。彼女のお母さんが読み終わったからといって彼女の家に送ってくれたのだけど、お母さん4巻も出たら読んでほしい。タレーラン無駄にコーヒーのうんちくとか出てくるけど、タレーラン自体をコーヒーにたとえるとめっちゃ薄いアメリカンコーヒーという感じ。何杯でも飲めるけど、全然コーヒー飲んだ気にならない。

ほかにもよくネットで見かける感想として「コーヒーが飲みたくなった」というのもあるんだけど、コーヒー飲みながら読めばいいのにと思う。飲みたくなったんなら、飲め。
2014.07.19 Saturday ... comments(0) / trackbacks(0)
#「なし水」をいただいた
なし水が届いた。きちんと書いておくと、こだまさんにご献本いただいた。送ったの爪切男さんだけど。こだまさんには簡単な感想を、爪切男さんには発送のお手間に対するお礼を送った。重ね重ねどうもありがとうございました。なぜだ。なぜタダでくれた。

一字一句丁寧にというわけではなくてばーっと読んだだけだけど、とても重くてよかった。よい重さだと思った。前に観て感想を書いた映画の「ぼくたちの家族」がいやな重さだと思ったのは、自分の身にも起こりうることだったからだ。それに比べると、「なし水」に載っているのもほとんどが彼らの身に起こった家族のおはなしなのだけど、それらはきちんと過去のものとして片をつけられている(んだと思う)ことで、そして、僕の身には後にも先にも起こりそうにない類いのものだ。だから、重さに距離を置いておくことができる。エンターテインメントというと失礼だけど、「自分にとってはフィクション」みたいな距離で読むことができる。

4人とも一癖あるおもしろいひとだな程度に思っていたけど、「なし水」を読んでからは、一周まわってここにきたんだなこのひとたちは、と思うようになった。僕はユーモアを大事にするひとが好きで、自分もそうなりたいとつねづね思っているのだけど、僕の好きなユーモアのあるひとというのは、みんなやさしい気がする。共通しているのは、ふざけるのが好きで、なぜかひとより怒られることが多く、根がまじめで、そしてシャイ。面と向かってありがとうとか言わせない感じのひとが多い。そういうひとのユーモアにはやさしさを感じる。「なし水」を書いたひとたちもみんなそうなんだろうなあと思う。なんか艱難辛苦を乗り越えた究極に近いやさしさがある、みたいな感じがする。で、こういうことを書くと、4人とも「買いかぶりすぎです、全然そんなんじゃない」って言う気がする。意地でも褒めさせないと思う。シャイだから。ひとりも会ったことないけど。

僕はそういったユーモアのあるひとがとても好きなので、そういうひとたちの書いた「なし水」はとても好きでした。

「なし水」、再増刷が決まったらしく、たぶん再増刷も売り切れたら再々増刷するんだろうし、おそらく在庫抱えるまで増刷しそうな気がするので、なんかあえて品切れ状態にしておくみたいなやらしい商魂とか持つほど器用じゃない気がするので、ご献本いただいたお礼に宣伝に協力します。

【なし水】通販開始のお知らせ - 小野真弓と今年中にラウンドワンに行きたい

宛名手書き(すごい!)で、ウラに「A4しんちゃん」って書かれて届くので、家族に見られて「これ誰……?なに……これ……?」って言われたくない方は、注文しないか、「A4しんちゃんだよ」とさも当然のように言って強制的に会話を終わらせるかのどちらかしかないと思います。
2014.06.03 Tuesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#猫語の教科書
いまはお風呂で「猫語の教科書」を読んでいる。クリスマスプレゼントで彼女にもらったもののひとつ。もらってすぐにぱらぱらと読んで、途中でやめていたのだけど、そしたらこの前あろうことかねこがその本におしっこをしていた。しわしわになったし、臭い。ねこが「猫語の教科書」におしっこするなんてなんのメッセージだコラァと思ったけど、たぶんメッセージなんてない。純粋に尿意をそこで発散しただけだと思う。

この本は別に猫語が喋れるようになるとかそういうのではなくて、厳密に言うと「猫の教科書」というほうが適切なのだろうと思うけど、ねこがねこの暮らし方で覚えておくべきことを書いている。のを、人間が翻訳している。という体を取っている。クラフト・エヴィング商會的な想像力での遊び方がたまらない。僕はこういうフィクションが大好きで、あこがれる。

彼女(メスのねこが書いている)はとある人間の家庭をうまく支配下において暮らしていて、そのためのコツが書かれているのだけど、読めば読むほどねこあざといな! という気になってくる。ウチのねこもとても賢くて、僕たちが喋っている言葉をたぶんほんとは全部わかってるんだと思うけど、それにしてもじゃあそれでこんなに平然と暮らしてるんならなんて強かなんだ、と思ってしまう。ねこを見る目が変わってくる。

この本は15章くらいの章立てになっていて、飛ばし飛ばし好きなところを読んでいる。いまたぶん全体の半分くらい。最後の方で愛について書いてある章があって、ここがとてもグッとくる。著者の彼女(ねこ)は、自分を飼っていると思い込んでいる人間の家族を支配下に置いてはいるのだけど、そうは言いながらも彼らに愛情を抱いてもいる。人間の愛の謎の正体のある部分に関して、とても賢い彼女は見事に一言で言い及んでいて、それが実にすばらしい。

愛について書いてあるのはほんとに後半の方で、それはつまり、ねこがおしっこした裏表紙に近いということでもあり、要するに結構臭いページなのだけど、おそらく結構な確率で彼女や僕より先にねこのほうがいなくなってしまう可能性が高いということがふと頭をよぎったときに、このにおいがいつかねこを思い出すときに大切なものになるかもしれないと思った。それを、見事に「猫語の教科書」なんてものにつけるなんて、このねこはなんて賢いんだろうと思った。

2014.02.19 Wednesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#まあまあ好きな本
本棚の整理をするたびに大きな本棚が欲しいなあと思うのだけど、読み返す本なんて漫画を除けばせいぜい30冊もあればいいところで、あとは「なんとなく手元に置いておきたい本」ということになる。でもそれもそのときそのときの興味や関心、立場や心境などで変わるし、前の職場に勤めていたときに買った多くのビジネス書や自己啓発本は、フリーランスになった途端にそのほとんどが不要になって売ったり捨てたりしてしまった。最近はどうもたくさんの言葉を摂り入れたい時期らしく、いろいろな本を読みたいし同時にアウトプットも意識してやろうとしている。インプットとアウトプットを同時にやりたいと思うのは珍しいことで、まあどうせすぐ息切れするんだろうけど息切れするまではやりたいようにやってみようと思う。

ということで本棚の整理をしているのだけど、どうも手放す気にはなれないんだけどあんまり読み返す気も起こらない、微妙な距離の本が何冊か出てきた。好きなんだけど大好きというわけでもない。好きになった要素を思い出しながらそれらの本について書き留めておく。

●ソングブック/ニック・ホーンビィ
「ハイ・フィデリティ」が出てから毎年夏に新作が新潮文庫で出ていたようなイメージがあるけど「ハイ・フィデリティ」以外そんなにおもしろくなかったからか今やもう絶版状態になっている作家、ニック・ホーンビィの音楽にまつわるエッセイ。彼が薦めているからという理由でティーンエイジ・ファンクラブのアルバムを買ったのだけど好きになれず、大体においてこの本に紹介されている音楽は(文章からしか判断してないけど)あまり好きになれそうにはなかった。唯一僕も好きだったのはビートルズの「レイン」くらい。

彼の書く小説は、ダメな男性のダメな心理を丁寧に書いてあって、自分の心情を彼の小説のなかで初めて可視化してもらったということも何度かあった。そういう小説はたいていは日常の機微を描いたものだ。

「ソングブック」のなかで彼がそういった小説で書くことについて言及している箇所があって、そこがものすごく好きなのだけど、いま読み返してみたらなんだか頭のなかですごく好意的に意訳していることがわかったので意訳した内容を書くと「何も起きないような日常を描いてるのにほんとうは登場人物たちの心のどこかに変化が起こっているということを読者に伝えなきゃ、小説としてはだめなんだぜ」みたいなことが書いてあって、それはいまでも好意的に意訳された形で心のなかに残っている。

なんにしても好きな作家が好きなものについて饒舌に語った本は嫌いになれるわけがない。

●益田ミリの本全般/益田ミリ
「すーちゃん」が映画になったことで話題になった、のかなってないのかわからない作家、益田ミリの主に漫画全般。彼女の漫画はのんびりしていてなんだかツイッターを見ているのに近い感じがするのだけど、たいてい1冊に1回はグッとくる言葉がある。それもこれもホーンビィが書いてたように、日常のなかで出てくる言葉だからグッとくるんだろうな。押し付けがましくない距離感が心地よくて、あと漫画なのでたまーーーに手に取ってぱらぱらと読むことがある。

●森崎書店の日々、続・森崎書店の日々/八木沢里志
春ごろ読んだような気がする。作品づくりでフコーカシティーに通ってた時期かな。ジャケ+あらすじ買いをしたのだけど、まあ割と無難におもしろかった。叔父の経営する古書店で生活することになってから、主人公の鬱々とした気持ちが晴れていく話。間違ってないんだけど意訳し過ぎで全然面白くなさそうだけど間違ってない。「続」の方はなくてもよかった。これは売りたいとは思わないけど誰かになにか最近のおすすめある? って訊かれたらあげられる本。手放そうと思えば手放せるな。

●小林賢太郎戯曲集全般/小林賢太郎
ラーメンズの小林賢太郎が書いたラーメンズの公演の戯曲集。これを練習して上演している大学の演劇部の公演を何度か観たことがあるけど、大体寒かった。カバーがオリジナルを超えることはあってもコピーがオリジナルを超えることはない。ラーメンズや小林賢太郎のなにがおもしろいのかを分析して、その要素を使ってオリジナルをつくったほうがよっぽどクリエイティブだし、過去にそういうことを真剣に考えてたころに何度も読んだりしたのだけど、出た結論としては「戯曲は別に、そこまで言うほどおもしろいわけじゃない」。当たり前だけどコントや演劇は現場でどんどんできていくものだし、彼らがおもしろいのは現場で膨らませていくのが徹底していたからだ。「これなら俺の方がよっぽどおもしろいもの書ける」と豪語したうえで実際におもしろいものを書いて、だけど現場で膨らませていくのが下手で結果ラーメンズのしょぼい版みたいのができました、くらいのことから始めないと、「超える」ってところにはいかないだろうなあ。ということでもう読み返すことはほとんどないけど、なんだか手放す気にもなれない。

●遠藤周作の小説全般/遠藤周作
大学時代に「海と毒薬」を読んでから遠藤周作にハマった時期があって、5冊くらいうちにあるのだけど、「老後なんか読みそうな気がする」という完全に物が捨てられないパターンと同じ思考に陥って、手放す気になれない。

●悪魔のパス 天使のゴール/村上龍
大学時代に「希望の国のエクソダス」を読んでから村上龍にハマった時期があって、15冊くらいうちにあるのだけど、村上龍はどれも好きで、このひとの取材量と書く量と書く姿勢は尊敬する。なかでもとりわけこの「悪魔のパス 天使のゴール」は読んできた作品のなかでは微妙で、おもしろいのだけど「村上龍のやつで読んだなかで微妙」というのがなんだかおもしろくて手放す気になれない。

●読んでない本全般
「いつか読むだろう」と思って手放す気になれない。


こんな感じの本を集めて、本の交換みたいなことができる仕組み、明確に誰に向けてというわけではなくてこの世界のどこかにいる誰かと本が交換できるみたいな仕組みが作れないものかと、このところずっと頭の片隅で考えている。
2013.08.16 Friday ... comments(0) / trackbacks(0)
#凪いだ世界
久しぶりに「ヨコハマ買い出し紀行」を読む。連載中も単行本が出るたびに買っていたのだけど、あまりに歩みがゆっくりなので途中で読むのをやめてしまった。それどころか誰かにあげた。誰にあげたんだっけ。2年くらい前に新装版が出たので、全巻買って最後まで読んだ。13年くらい連載が続いていたんだったと思うけど、それだけの時間をたっぷりかけてゆっくりとゆっくりと凪いでいく世界が描かれている。

結局最後までなにかが完結することはなく、謎はそのままで、みんな生活を続けていく。夜中に読んだのがよかった。最期はこうやって終わっていきたいなあと思った。
2012.11.03 Saturday ... comments(4) / trackbacks(0)
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