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2017.01.09 Monday ... - / -
#わたしは名もない宿屋の娘
わたしの家は宿屋だ。ホテルと呼べるほど立派なものじゃない。第一、屋根がない。なぜだか知らないけど、この世界では屋根のない家も結構ある。だけどそんなに不便を感じたことがない。だって雨も雪も降らないから。

宿屋は母が切り盛りしている。母を「おかみさん」と呼ぶ上半身裸で下半身はパンツ一丁の仮面をかぶった男は、もうずっとウチのベッドで横たわったままだ。朝も夜もベッドで寝ている。剣を持ったまま。

父は毎日朝になると武器屋に行く。話しかけても「武器や防具は持ってるだけじゃだめだぜっ。ちゃんと装備して初めて使いこなせるってわけだ」しか言わない。夜はベッドで「ぐーぐー」しか言わない。

わたしはわたしで「ここには温泉もあるのよ。ゆっくりしていってね」しか言わない。夜になるとベッドで「すーすー」と眠っているらしい。

昨日勇者様御一行が来た。勇者と商人と盗賊と遊び人の4人組だった。方向性がよくわからなかった。勝手にタンスの中の48ゴールドと木の帽子を取っていたけど、なにも言わなかった。相手は勇者様御一行だったし、第一わたしには「ここには温泉もあるのよ。ゆっくりしていってね」しか言えなかったから。みんな無口で、それが逆に怖かった。

勇者様御一行は朝ウチに来たのだけど、そこからほぼ丸一日寝ていた。今朝になるとすっかり元気になったようで、黙って町を出て行った。たぶん南の洞窟に行くのだろう。南の洞窟には、いろいろな扉を開けられる鍵があるらしいし。

外には魔物がいるけれど、わたしの生活はいたって平和だ。どうせ町の外には出たくても出られないんだし。
2015.03.20 Friday ... comments(0) / trackbacks(0)
#猫撫で師
猫撫で師の資格を取った。「猫撫で師」という資格があること自体、ぼくは知らなかった。猫撫で師のことは、飼っている猫のモコから教えてもらった。彼女は言う。
「仕事辞めて暇なんだったら、資格のひとつも取るべきよ。資格があるのとないのじゃ就職に差が出ることくらい、あなたも知っているでしょう? そうだ、せっかくだったら資格を取るのは猫撫で師がいいわ。まだまだ認知度が低いから、猫撫で師の資格があれば就職には絶対的に有利よ」
「猫撫で師?」
「知らないの? 猫を撫でる専門のヒトのこと」
「初めて聞いた」
「まったく、こういう情報に疎いのねえ」
「猫撫で師は猫撫でてどうするの?」
「猫撫で師が撫でると、猫は気持ちよくなってとてもいい声で鳴くの」
「それで?」
「それだけよ」
かくしてぼくは、猫撫で師の資格を取るべく、彼女に教えを乞うことになった。

モコがとりあえずこうべを垂れ、ぼくはとりあえず首のあたりを撫でてみる。撫でるというか、掻いてあげるという感じ。するとモコは、そこじゃないと言わんばかりに自分で頭を動かして、ぼくの手が頭頂部に来るように導く。
「だめねえ」
モコが言う。
「猫撫で師になるのなら、猫がどこを撫でてほしいのか、きちんと想像しなきゃ」
ぼくは頭を撫でてやる。彼女の毛はもこもこしていて手触りがいい。それでモコという名前をつけたのだけど。撫で続けていると、モコがまた頭を動かす。
「いつまでも同じところを撫でてほしいと思ってると思う?」
モコはいつも上からものを言う。猫と暮らすのはモコで3匹目だけど、彼女がいちばん偉そうだ。偉そうなのに、平気でゴミを漁ったりするから、プライドが高いのか低いのかわからない。

彼女の指導が1か月くらい続いたある日、いつものように布団に入り、モコも続いて布団にもぐってきたので、頭や首すじをこちょこちょと撫でてやったら、彼女は「んー」と言ったあと、すぐに眠ってしまった。翌朝、モコに「昨日の撫ではとてもよかったわ。猫撫で師合格よ」と言われた。ぼくは一応よろこび、モコを撫でた。モコは続ける。
「でもあたし以外撫でちゃだめよ。わかった?」
ぼくは苦笑しそうになるのをこらえながら、もちろんわかってるよと答える。
2014.12.26 Friday ... comments(0) / trackbacks(0)
#誰かが泣いてる
インターネットで、誰でも自由に上書きできるのだけど、日をまたぐと二度と更新できなくなる日記を見つけた。毎日、その日の最後に書かれた言葉が綴られている。昨日、たぶん同じひとだと思うのだけど、何度か、いまかなしくて泣いているといったことが書いてあった。誰かがかなしくて泣いてる。かなしくて泣いてたはずの日記は、1時間後にはいまバターを塗ったパンを落としたという文面に変わった。そしてまた、気がつくと泣いていた。また30分後にはどうでもいいことが書いてあって、そのすぐあとに、誰かが泣いていた。わたしはそれを見て、顔も名前も知らないその誰かのことを考えた。

世界のどこかで、誰かが泣いてる。別にそんなこと、当たり前に毎日毎時毎分毎秒起こってるはずなのに、なんだか不思議なことのように感じた。

もう泣いてないといいなと思う。
2014.10.18 Saturday ... comments(0) / trackbacks(0)
#バースデー
弟がうまれる日は雨だった。ぼくは学校に行っていて、帰ってきたらお母さんがいなかった。メモが置いてあって、赤ちゃんがもうすぐうまれること、おじいちゃんとおばあちゃんが来ること、お父さんがあとでぼくを迎えに来ることが書いてあった。友だちと遊ぶ約束をしていたけど、病院に行かないといけなくなったから断った。

5時過ぎにおじいちゃんとおばあちゃんが来た。会うのはお正月ぶりだ。おじいちゃんとおばあちゃんは鹿児島に住んでいるので、夏休みとか冬休みとか、長い休みのときにしか会えない。6月のこんなふつうの日に会うのはなんだか変な感じがする。おじいちゃんとおばあちゃんがどこにでもいるおじいさんやおばあさんみたいに思えて、なんだかうまくおじいちゃんおばあちゃんと呼べない。家にいるのにお出かけしてるみたいな気分だ。居心地が悪い。

おじいちゃんはずっと帽子をかぶっている。山みたいな、ひっくり返したプリンみたいな形の帽子だ。あの帽子はなんて名前なんだろう。名前を知らないものが、ぼくにはまだまだたくさんある。おばあちゃんの服装も、なんというかだらしなくない。この前年末にいっしょにデパートに行ったときの感じに似ている。6時を過ぎるとお父さんが帰ってきた。ぼくたちはお父さんの車でいっしょに病院に行く。

車でお父さんがお母さんの具合について話した。お父さんはおじいちゃんおばあちゃんと話すとき敬語を使う。大人が大人に敬語を使うのは不思議だ。担任の田宮先生も隣のクラスの担任の伊藤先生と話すときに敬語を使うけど、あれも変だ。田宮先生はたぶん35才くらいで、伊藤先生はたぶん25才くらいだと思う。伊藤先生は、かわいい。ぼくのタイプではないけど、かわいい先生だなあとは思う。田宮先生は、ふつう。いつもジャージだし、髪もぼさぼさっとした感じだし、かっこよくない。かっこ悪いわけでもないけど、なんだかふつうのおじさんって感じがする。田宮先生は伊藤先生のことが好きなんだと思う。ぼくたちは田宮先生が伊藤先生と付き合えばいいのにと思う。田宮先生に伊藤先生のことが好きかどうか聞いたら、田宮先生は別にふつうだよと言ったけど顔はうれしそうな照れくさそうな感じだった。

お母さんは2時ごろ自分でタクシーで病院に行ったという。ジンツウのヨチョウが来たっぽいので病院に行くけど、うまれるまでまだ時間がかかりそうだからソウタイしなくていいと言われた、とお父さんは主におじいちゃんおばあちゃんに向けて話す。こういうとき子どものぼくはわからない言葉を丁寧に説明してもらえず、あまりよくわからないまま相づちを打ったりする。わからないことを聞こうとすると、大人の話に子どもが口を出してはいけないと注意されるのだ。もうぼくもいいかげん学んだ。こういうときは、わかったふりをして聞き流すのがいちばんいい。

赤ちゃんは何時にうまれるの、とお父さんに聞いたら、わからないけど夜中かもしれないと言われた。病院に行ったらたぶんわかるよ、とも。それ以上はぼくもおじいちゃんもおばあちゃんも、いちばん情報を持っていそうなお父さんも話すことがなかった。夜になるのにまだ少し明るくて、もうすぐ夏が来るなあとか考えながら、窓の外をずっと見てた。

病院に着くと、お母さんがベッドで寝ていた。もっとなんかこう、うーんうーんって苦しんでるイメージだったけど、ただ寝てるだけだった。格好が入院患者みたいで、それでちょっとお母さんが心配になった。うまく言えないけど、お母さんがどこかに行ってしまうような気がした。死ぬとかそういうのじゃなくて、なんていうか、別人になりそうな。

それ以上考えると泣きそうになったので、ぼくは考えるのをやめた。お母さんに、がんばってと言った。お母さんはぼくの手を握って、ありがとうと言った。顔にうっすらと汗がにじんでいた。

それからすぐに緊急手術です、とかいうこともなくて、15分もすると、やることがなくなった。さっきの泣きそうな気持ちもどこかに行ってしまった。ひまだったので病院の廊下を探検することにした。お父さんに、あんまり遠くに行くなよ、と言われた。

病院の廊下はなんだか不思議な感じがする。どちらかというと現実じゃなくて夢のなかみたいだ。ぬるっとしてて、はっきりしない。学校はもっと机があったり黒板があったり校庭があったりして、色がはっきりしている。病院は何色って言えばいいのかわからない微妙な色が多い。どちらかというと白い壁、強いて言えば緑の廊下。においも不思議だ。なんのにおいかわからない。ぼくは退屈になった。

病室に戻ると、いったん帰ることになった。ぼくは拍子抜けした。いつかテレビで見た、お母さんを乗せたベッドのまま動くやつがガーッと廊下を走って、周りにはたくさんのお医者さんと、あと、がんばれと言って手を握るお父さんがいる。ぼくたちは手術室の手前までしか行けなくて、運ばれているお母さんを見送る。「手術中」の赤いランプがつく。何時間もずっと黙って待っているしかなくて、そのうち、「手術中」の赤いランプが消える。なかから、これもまた何色って言えばいいのかわからないけど青と緑を混ぜたみたいな色の服を着たお医者さんが出てきて、マスクをはずしながら、手術は無事に成功しましたよ、と言う。ほっとするぼくたち。あるいは、お医者さんは無言で首を振る。泣き崩れるぼくたち。どっちもテレビで見たことがある。そういうのを想像してたんだけど、現実は意外とのんびりとしている。お父さんだけがあとでまた病院に来ることになって、ぼくたちは帰る。

帰りにジョイフルに寄った。なにもないのにファミレスに来ることなんてめったにない。今日はなにもなくはないんだけど、別にどこかに遊びに行った帰りとかじゃないから、不思議な感じがした。4人がけの席に、ぼくとお父さん、おじいちゃんとおばあちゃんで向かい合って座る。お母さんがいない。変な感じがした。

思えばなにかがあるときにはいつも必ずお母さんはいた。お父さんがいないことはあっても、お母さんがいないことはなかった。お母さんがいなくて、おじいちゃんとおばあちゃんがいる。なにを話せばいいのかわからなかった。おばあちゃんに、弟と妹、どっちがいい? と聞かれた。ぼくは弟、と答えた。ほんとはどっちでもよかった。

ぼく以外の大人たちはお母さんのことを話している。お母さんと、赤ちゃんのこと。がんばって聞いてみても「うまれる」とか「男の子」とか「名前」とかそういう単語しかわからない。たぶんお金のことを話してるっぽいな、みたいなのはわかるけど、具体的になんのお金のことなのかとかが全然わからない。誰も解説してくれない。

ドリンクバーで、コーラとメロンソーダとCCレモンを混ぜたやつをつくった。コップを持って戻ると、お父さんが、なんだそれ、と言った。ぼくはオリジナルカクテルソーダとだけ言って、飲んだ。カクテルっていうのは大人が飲むおいしいお酒で、大人っぽくてかっこいいから言ってみたんだけど、これをカクテルというのかどうかほんとはわからなかった。訂正されなかったから正しいんだろう。おいしいと思うものを足したはずなのに、ただ甘いだけで全然おいしくなかった。だけど、我慢して飲んだ。薬だと思って飲んだ。

チーズハンバーグのセットを頼んだのだけど、さっきのジュースが甘くてご飯を食べる気がしなくなった。だいたいお米とジュースは合わない。お腹はすいていたけど、ぼくはチーズハンバーグを一口も食べなかった。やっぱりいらないと言った。ほんとはお腹がすいてたし、ジュースの甘さを差し引いてもほんとはチーズハンバーグを食べたかったのだけど、いらないと言った。お腹すいてなかったのかとお父さんに聞かれたけど、ぼくはだまってドリンクバーのところにいって、また、コーラとメロンソーダとCCレモンを混ぜたやつをつくった。お父さんがそれ好きだなと言って笑ったけどそうじゃない。好きじゃないからこれをつくって、好きじゃないから飲むんだ。お父さんはなにもわかってなかった。ぼくだって、なんでぼくが好きなチーズハンバーグを一口も食べないで、なんで嫌いなジュースを飲んでるのかわからなかった。口のなかが甘くて、だけど味がしなかった。食べないならハンバーグもらうよとお父さんが聞いて、ぼくはなにも言わなくて、ほんとにもらうよと念を押されて、それでもぼくはなにも答えなかったからお父さんはハンバーグを食べた。もうこれで本当にぼくはハンバーグを食べられなくなって、取り返しがつかなくなった。

ジョイフルからの帰り、ぼくはなにもしゃべらなかった。ぼくがしゃべらないと、周りの大人たちもみんなしゃべらなかった。ぼくはそれにちょっとだけ気分をよくした。

帰ると9時ちょっと前だった。いつもならもうお風呂にも入ってて、あとは寝るだけなんだけど、今日はお風呂に入ってないどころか、お湯もまだ入っていない。お父さんがお湯を入れて、おじいちゃんとおばあちゃんに先に入られませんかと言っている。お母さんがいなくて、おじいちゃんとおばあちゃんがいるだけで、家のなかのいろんなことがちぐはぐになる。おじいちゃんがぼくにいっしょに入ろうと言ってくれて、最初にぼくとおじいちゃんが入ることになった。

ぼくはおじいちゃんが好きだったのだけど、今日だけはなんだかみんな嫌いだった。お父さんも、おばあちゃんも。だけどおじいちゃんとふたりきりになると、おじいちゃんはいつものおじいちゃんになった。やさしかった。おじいちゃんはお風呂で一言もお母さんや赤ちゃんの話をしなかった。それがちょっとうれしかった。

お風呂から上がるともう10時前で、ぼくは眠たかったので寝た。大人たちは何時まででも起きていられるからすごい。そのぶん朝いつまででも寝ているけど。

何時だかわからないけど、夜中に起こされた。目をあけると、青の濃いやつ、紺色よりももっと濃いやつが部屋中にどっぷりとある。夜中の色を初めて見たと思った。気を抜くと紺がすぐ黒になって気持ちよくなる。そのたびにお父さんがぼくを揺らしながら起こす。脳の奥の深いところが引き剥がされるような気持ちになる。ぼくは半分眠りのなかにいながら服を着替えた。

外はまだ暗かったけど、夜という感じもしなかった。朝が近づいている。6月なのに少し肌寒い。雨が小降りになっている。

車のなかで、もうすぐ赤ちゃんがうまれそうだとお父さんが言った。お父さんはなんだかお父さんじゃないみたいだった。おじいちゃんもおばあちゃんもなんだか落ち着きがない。これ、ほんとにお父さんとおじいちゃんとおばあちゃんか?

病院に着くと、お母さんはもう赤ちゃんをうもうとしているところだった。お父さんだけが手術室みたいなところに入った。ぼくたちは廊下で待っていることにした。テレビで見た通り、ぼくたちは黙っていた。黙ろうと思って黙ってたんじゃなくて、話すことがない。誰になんて言えばいいのかわからない。そのうち、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。なかでわーという声が上がって、拍手していた。ぼくもおじいちゃんもおばあちゃんも立ち上がって、顔を見合わせた。

はじめて弟を見た感想は、変、だった。人間の顔じゃない感じがする。お母さんにもお父さんにも、ぼくにも似ていない。ぼくもうまれたときはこんな顔だったんだろうか。信じられない。だけどお母さんは、お父さんも、この赤ちゃんをすごくきらきらした目で見ている。かわいいとか言っている。手なんかこんなに小さくて、とか言っている。ぼくからしたら、ほめるところはそこくらいしかない。小ささしかない。手とか足とかのパーツがとても小さくて、だけどちゃんと指が1本1本あってすごいと思う。よくできてるなと思う。それはすごい。だけど、全体的に見てもかわいいって感じはしない。やっぱり、どちらかというと変だ。

赤ちゃんのことでひとしきり盛り上がったあと、朝の6時半だったので、いったん家に帰って、学校に行く準備をした。お父さんも会社に行くと言う。お父さんは実は寝てないらしかった。なにかあったらおじいちゃんとおばあちゃんが病院に行ってくれることになった。

その日学校ではずっと眠くて、遊ぶときも身体がうまく動かなかった。頭のなかにべっとりと膜が張っているような感じ。いろんなことが思った通りにできない。イメージしてるのよりちょっと遅れる。帰ってきてから、おばあちゃんのつくったご飯を食べて、お風呂に入って8時には寝た。

おじいちゃんとおばあちゃんはそれから1週間くらいいて、お母さんの退院にあわせて鹿児島に帰った。ある日帰ったらおじいちゃんとおばあちゃんがいなくて、お母さんと弟がいた。お母さんが退院することは聞いてたけど、お母さんがいなくておじいちゃんとおばあちゃんがいる生活に慣れてきたころだったので、急にまた元に戻って変な感じがした。お母さんだけじゃなくて、今度は弟もいる。生活は、元通りというわけにはいかなかった。

弟は赤ちゃんなので泣くのが仕事だ、とお母さんとお父さんは言う。そう言いながらも、ふたりともときどき、うんざりしたようになる。もー、また泣いてー、今度はどうしたん、とお母さんが少しいらいらしながら言うのを聞くと、ぼくはちょっとだけ弟のことがかわいそうになる。

週末、お母さんの友だちがよく遊びに来るようになった。お母さんの友だちもだいたい子どもがいて、ぼくより年下なことが多かったけど、子どもも一緒に来たりした。お母さんといちばん仲のいい友だちで、まきちゃんというひとがいて、ぼくはまきちゃんが好きだった。まきちゃんだけは結婚していなかった。当然、子どももいない。まきちゃんは下の名前がなんとかマキっていうんじゃなくて、蒔田という苗字なのでまきちゃんなのだった。だけど、ぼくからしたらまきちゃんこそが「マキ」っていう女のひとって感じで、テレビでなんとかマキとかいうひとが出るたびに、違うなあと思っていた。

お母さんのお友だちは、たいていプレゼントを持ってきた。箱に入ってて、中身は赤ちゃん用の服とかよだれかけとか靴とかだった。それをもらって、お母さんがわあありがとう、うれしい、助かるみたいなことを言って、弟を見て、かわいいとか小さいとか言う。お母さんの友だちはみんな弟を見て女の子? と聞いた。なんでだろう。女の子っぽく見えるんだろうか。ぼくにはどっちにも見えない。男の子のような感じもするし、女の子のような感じもする。うまれたばかりのころとは違って、少し人間っぽくなってきた。だけど、男か女かはぱっと見てわからない。

まきちゃんは、弟を見て、うわあハゲだと言った。ぼくはそれがおもしろかった。お母さんも別に気を悪くした感じではなかった。みんな笑った。えー、男の子? 女の子? と聞いた。男の子、とお母さんが答える。名前は? 嘉幸。ふつうの名前だね。画数多いね。テストのとき名前書くの大変だ。まきちゃんは変なところにこだわる。ぼくはまきちゃんのそういうところが好きだった。

まきちゃんが、プレゼント持ってきたんだ、と言う。お母さんがありがとうと言って受け取ろうとすると、まきちゃんは悠介に、と言う。悠介というのはぼくの名前だ。ぼくに? とぼくが聞く。まきちゃんはうん、と言ってぼくに包みを渡す。なんでぼくに? とぼくは聞く。悠介はお兄ちゃんになったからね、とまきちゃんは言う。悠介はさ、弟がうまれるまでお兄ちゃんになる練習をしてきたもんね。それでめでたくお兄ちゃんになったんだから、お祝いだよ。お母さんは、変なの、という。ぼくはなんだかこれまでずっと心のどこかに引っかかっていたものが、ものすごい勢いで溢れ出してくるのを感じた。目の前の赤い包みの輪郭がぼやけてぐじゃぐじゃになった。まきちゃんはよくがんばったといってぼくの頭をぽんぽんと叩き、ぼくは涙がひざにぽろっと落ちて、それからとうとうわんわん泣いてしまった。
2014.08.10 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
#外は戦場だよ
7月に入り、夕方になると、街のそこここで太鼓の音が鳴り響くようになった。どんどん、どんどんという単調なリズムに、カンカン、カンカンという乾いた金属音が乗る。うるさくて仕方がない、とわたしは思う。あと1週間もするとお祭りがあるらしく、みんなそれに向けて練習しているのだ。

この街に来て4年が経ったけど、この街のことは相変わらず好きになれない。ひとも言葉も乱暴だし、ど田舎というわけでもないけど都会というわけでもない、その中途半端さも嫌いだ。みんなおしゃれをしてるつもりなんだろうけど、田舎者が背伸びをしているだけという感じがする。夕方のニュースでは毎日のように飲酒運転で事故があったと言っているし、何年も前にあんな痛ましい事件があったというのにいまだに学ばないここのひとたちには、いいかげんうんざりする。

お世辞にも広いとはいえないアーケードのなかで、いくつかのグループが太鼓を叩いている。アーケード内で響くからなのか下手だからなのかはわからないけど、太鼓のリズムが散けて聞こえる。騒音でしかない。この音はなんだかそっくりそのままこの街みたいだ。乱暴で、汚くて、まとまりがない。自分さえよければそれでいいといった感じの、身勝手な音。

夏が終わるとわたしは次の街に行く。みんなともお別れ。淋しいなと思わなくもないけど、正直なところ、それ以上にせいせいする。友達とは仲が悪いわけじゃないけど、いつもどこかで居心地の悪さを感じていた。誰かといて心から笑ったり泣いたりできないこの街は、わたしの街じゃないと思った。

もうすぐ義務教育の9年間を終えることになるのだけど、たいせつなことは結局なにひとつとしてわからなかった。せめて、なにがたいせつなことなのかくらいわかりたかったな、と思う。たいせつなものはわからないけど、いらないものはよくわかる。たぶんわたし、この街のすべて、いらないものだったんだと思う。淋しいけど、そう思ってしまう。

次の街にいったら、また自然に友達ができるんだろうか。半年しか残されていない中学校生活、友達ができたところでまたすぐに離ればなれになるんだろうし、友達だったりすてきな思い出だったりが、あったってむなしいだけのような気もする。

子どもって親の都合に振り回されるしかないんだろうか。こうもいろんな街を転々としていると、なんだかなにひとつたいせつにできてない気がして、15年生きてきたけどわたしにはなにもない。

明後日の終業式で1学期が終わって、夏休みになる。夏休みの終わりにわたしはこの街を出る。だからみんなとも、あと2日でお別れ。この街で過ごす最後の夏休みには、なにかひとつくらいわかりたいような気がする。大嫌いなこの街を、少しくらい好きになってから去りたい気がする。さっきからあちこちで鳴るまとまりのない太鼓の音が耳に障って仕方ない。銃声みたいに聞こえる。
2014.07.17 Thursday ... comments(0) / trackbacks(0)
#鈍色の島
一年中雨ばかりで晴れることのない国があると聞いてからわたしは、こつこつお金を貯めた。貯めに貯めた。そしてようやく今年の5月、移住することに成功した。ヨーロッパの北西部、イギリスよりもさらに北西にあるこの国は、この島は、ほんとうに年中雨が降っていた。使われている言語は独特の訛りのある英語のような感じで、ところどころ意味がわかるのだけど、やはり総じて意味不明な言語になっている。人口が少ないので喋る機会はほとんどないのだけど、やはり買い物で困ることがある。

わたしはこの国に移り住んでなにをしたかったのかというと、なにもしたくなかった。雨の音を聴いて、日がな一日過ごしたかった。ただそれだけだった。ただそれだけだったけど、それがわたしのすべてだった。保険とか年金とか、景気とか賃金とか家賃とか食費とか、資本主義とか制度とか政治とか、そういうおよそわたしにコントロールできないわたしにまつわることの一切を棄てたかった。それらの一切を棄てたとき、わたしがどうしてもほしいのは、雨の音だった。

梅雨の時期に生まれて、思えばわたしは雨の音ばかり聴いてきた気がする。子どもの頃、たのしみにしていた遠足は、どれも雨で流れた記憶しかない。たいていは順延したはずなのだけど、家で雨音を聴きながら、遠足に行きたかったなあと思っている記憶しかない。たぶん遠足が雨で順延した場合はその日は普通に授業が行われているはずで、だとしたらわたしが家で雨音を聴いている記憶はどこかがおかしいのだけれど、そうはいってもそういう記憶しかないのだから仕方がない。

この小さな島で、わたしは雨の音を聴きながら本を読んで暮らしている。日本にいるときよりもものがないしやることもないので物思いに耽る時間が増えた。わたしはわたしのこの60数年の人生のことを思い返す。まあそんなに悪くはなかったなと思う。そして、いまようやくわたしはわたしのほしかったものを手に入れ、それで、残りのおそらく20年もないであろう余生をここで過ごすことをイメージしてみて、相変わらず、わたしにはわからないことが多いな、と思う。いつまでたっても欲しがるのだな、とも思う。欲望には際限がない。それはいつか枯れるものだと思っていたけどそうではないらしい。質が変わるだけで尽きることはない。そういうことに思い至って、わたしは、わたしたちはなんで生きているのだろうと思う。思春期に深く思い悩んだ疑問に、わたしはこの歳になって、いま一度ぶつかっている。

そういったこともすべて、雨がどこかに流しさってくれるような気がして、わたしはずっと、雨の音を聴いて過ごしている。わたしはわたしのしあわせがなにかということを知っている。
2014.06.05 Thursday ... comments(0) / trackbacks(0)
#愛に胡坐
親ももういい歳だし、そろそろなんかの病気でふっと死んでもおかしくないんだよなあと言った彼は、去年母親を病気で亡くしていた。まだ60代半ばだった。お前んとこは両親元気なの? ああうん元気だよ。じいちゃんばあちゃんは? おじいちゃんはだいぶ前に死んだけど、おばあちゃんはまだ生きてる、大して元気でもないけど。90近いし。ああ、うん。

そういえば今年ももう終わろうかというのに、今年になってまだ一度も祖母に会っていないことを思い出す。それで感傷的になるわけでもない。正月が近いせいもあって、まあどうせすぐに会えるだろうという気持ちがあるからかもしれない。

会おうと思えばいつでも会える、と思うひとにわざわざ会おうと思ったことがない。なにもしなくたって会うときには会うし、特に用事がないのに会ったって別に話すこともない。

でもたぶんそれって愛に胡坐をかいてるからできることなんだよな、と彼は言う。ああそれは別に、悪いってことじゃなくてさ。愛って言うと大げさだけど、要するに、このひとの意識のなかにまだ自分という存在がいるだろうって思えてるうちは、無理につなぎ止めたりする必要はなくてさ。そういう、努力っていうの? そういうことしなくても関係がキープできてるってことだから、いいんだよ、胡坐かいてて、むしろきちんと胡坐かいておくことこそ適切っていうかさ。

そうなの? とわたしは訊き返す。なんて身勝手な理屈なんだろうとも思うし、その通りのような気もする。ま、会いたくなったときに会いたいひとに会いに行けばいいんじゃない? 会いたいのに会わない、っていうのよりよっぽど健全だと思うよと言われて、単純なわたしはそうかと思う。
2013.12.12 Thursday ... comments(0) / trackbacks(0)
#updated
もうずいぶん前から部屋の壁掛け時計は変な時間を示している。遅れているのか進んでいるのかもわからない。昨日の午前7時に12時半を示していた時計は、今日の午前10時には8時15分を示していた。こうなるともう現在の時刻を知らせるという時計の唯一の機能をまったく果たしていないのだけれど、わたしたちはその不思議な時間を見るのが気に入って、それをそのままにしていた。時計にあたらしい機能がつく。

わたしたちがいっしょに過ごすようになってから、部屋の風景が少しずつ変わった、らしい。ひさしぶりに訪ねてきてくれた友人にそう言われて初めて気付いた。自覚はなかったのだけどそういえばこの部屋になかったはずのものが存在するようになって、あったはずのものがどこかに仕舞われたりした。日々の変化はささやかなれど、大きなスパンで区切って見てみると、確実に変化している。わたしは変化がこわかった。こわいというか、抵抗があった。いまをいまのままにしておきたい。わたしの生活に、大きな渦は必要なかった。だけどいままさに渦中にいる変化は、日々の生活をささやかにアップデートしていく類のもので、わたしの生活を少しもおびやかさない。調味料が増えたり本やCDが増えたり、ゴミを捨てるペースが早くなったりテーブルの向きが変わったり。わたしはなにに怯えていたのだろう。いまとなってはもう思い出せない。

日付が変わろうとしている。時計の針は2時20分を指している。この時計もいつかは捨ててしまうのだろうか? もしそうだとしても、わたしはもうそれをいやだとは思わなくなった。たぶんそのときというのは代わりになるお気に入りの時計が見つかったときで、それは時計本来の機能と鑑賞の機能のふたつを兼ね備えたさぞかしすてきなものなのだろう。未来のわたしたちが選択するそれを、いまはたのしみに待っておきたい。わたしは未来に起こるであろう変化がたのしみになっていることに気付いた。わたし自身の価値観も、少しずつ顔ぶれが変わっていく調味料の小瓶と同じように、少しずつアップデートされていく。
2013.10.11 Friday ... comments(0) / trackbacks(0)
#寄り添う孤独
友だちの誘いでDJデビューすることになった。下北沢にある、30人も入れば満席になるような小さなお店で。前に好きなバンドがそこでクリスマスにライブしてたのを観に行ったことがある。そのライブはすごく温かい雰囲気で、隣に座ってた知らない女の子と話したりして気がつけばすっかり仲良くなっていた。いまでもたまにいっしょにイベントに行ったりする(たまにって言っても年に1、2回くらいだけど)。そのときのイメージがあるので、正直その店でクラブイベントというのが想像もつかなかったのだけど、始まってみると案外悪くなかった。こじんまりとした手作りのクラブイベントという感じがして、僕は割と気に入った。

僕の出番は2番目で、最初のひとの持ち時間が30分だったから、イベントが始まってすぐくらいから僕は緊張していた。DJってやってみたら案外いけるんじゃないかと根拠もなく思っていたけど、思いのほか難しかった。その場で曲を選んでかけるんじゃなくて、初めから流れを決めておいて、2枚のCDに焼いて、それをつないでいるというのも初めて知った(まあそれは友だちのやり方であって、その場で即興で選曲してるひともいるかもしれないけど)。僕の出番はあっという間に終わった。初めはうまくつなぐということに必死で、そのうちだんだんとみんなの反応を見られるようになってきたかなと思ったら持ち時間が終わった。自分がたのしかったかどうかもよくわからなかった。

それからは一観客としてたのしんだ。緊張をほぐそうと思って出番前に友だちに勧められるままにテキーラをあおったのだけど、緊張で酔うどころではなかったのが、出番が終わって一気に酔いが回ってきた。それからはもうなんでもたのしかった。たのしんだもん勝ちという気分になった。誰とでもたのしく話せたし、たのしくない要素はなにもなかった。くだんの女の子も遊びに来てくれてたのだけど、彼女とだけはなんだかうまく話せなかったのだけが心残りだった。

トリのひとが、僕が東京に出てきたころよく聞いていた曲を流した。それで一気にこの2年半のことが走馬灯のように駆け巡ってきた。酔いのせいもあったのだと思うけど、僕は深い感傷に浸った。みんながたのしく騒げば騒ぐほど、僕はひとりになっていく。酔ったせいで少し詰まったように感じる耳でその曲を聴きながら、僕はなんだか少し泣きそうになった。

九州の片田舎から東京に出てきて、まずひとの多さに驚いた。カフェやなんかでもひととひととの物理的な距離が近い。それなのに心理的な距離は遠くて、周りにたくさんひとがいるのに孤独を感じる。周りにたくさんひとがいるから余計にかもしれない。ここは完全に独りになれる場所だと思った。

金曜の夜に、こうやって孤独が集まって思い思いにたのしんでいる。あれから僕にも東京の友だちができたけど、東京の友だちっていったって他県から出てきたひとが多いし、彼らと遊んでいても、なんだか孤独が寄り添っているという感じがする。変にベタベタしない適度な距離感が僕は好きで、東京って孤独にやさしい街だなあと思う。大好きな街なんだけど、今月末に僕はこの街から去る。孤独じゃなくなるのがいまはとても淋しい。みんなたのしそうに踊っていて、この曲がずっと終わらなければいいのにと思っていた。
2013.09.25 Wednesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#誰かの神様
彼女はよく抽象的、概念的なことを口にした。それはつまり、生きることの意味だとか、愛だとかそういうこと。話の輪郭がうまくとらえられない。何事も正しいような気もするし、何事も正しくないような気もする。具体性の乏しい話にゆくあてはなかった。

彼女はよく、誰かの神様になりたいと言った。誰かの神様になりたい。たぶん誰かっていうのは誰でもなくて、きっとこの世のすべて。世界のすべてを愛したい。誰もなにも嫌いになりたくない。地球全体を包み込む大きな愛のようなものになりたい。わたしはふうんとしか言えなかった。

わたしは万物を愛したいと思ったことがなかった。なにも嫌いになりたくないと思ったこともなくはないけど、それでもムカつく上司はやっぱりムカつくし、好きになれない、嫌いでしかない。嫌いなひとやものはわたしのなかにどうしても存在する。そんな風に思ってしまうわたしは彼女より狭量なのかなと考えてしまう。

彼女は簡単に手首を切った。死のうとしているんじゃなくて、彼女にとってはたぶん爪を噛む癖みたいなものなのだろうと思えた。軽々しかったからだ。わたしはその行為がどうしても受け入れられなかった。当たり前だ。彼女が手首を切ったことを知るたびに、胸のあたりが不快になった。吐き気を覚えた。なのに言う言葉がなにもなかった。やめなよ、とは言わなかった。それはたぶん、わたしが彼女に対してほんとうに狭量だから。単に、ああそういうアピール要らないな、と思っただけだった。

吐き気を覚える理由はわかっている。それが、愛されたいというアピールだからだ。そして、それをきちんと言葉にしないからだ。態度としても反語的だからだ。かまってほしいときにかまってほしいとストレートに態度に示さないのがわたしはほんとうに嫌い。「○○に行こうと思うんだけど」みたいな感じで、「〜だけど」で止める言い方がほんとうに嫌い。「あ、うん、どうぞ行ってらっしゃい」と思ってしまう。「いっしょに行かない?」とどうしてストレートに訊けないのだろう。どうして全部を相手に任せようとするのだろう。相手に選択肢をすべて委ねることは、やさしさでもなんでもない。怠慢だ。

つまるところわたしは愛を試されるのが嫌いなのだ。ほらまた。やっぱりわたしはいまもこうやって嫌いなものをひとつ積み上げている。自分の狭量さを自覚する。

わたしはいま病室にいて、眠っている彼女の顔を見下ろしている。誰かの神様は穏やかに眠っている。彼女は昨日家にあったくすりを大量に飲んで病院に運ばれた。胃洗浄をした。誰かが試そうとした愛は、臭い吐瀉物になって吐き出された。お医者さんも大変だなあと思う。わたしは自分のなかに沸き起こる吐き気の正体をいまはっきりとつかむ。怒りだ。得体の知れない怒りが胸のあたりでざわざわする。たぶんそれを抑えようとしたのが吐き気として表れたのだろう。わたしはいま穏やかに眠っている誰かの神様を見下ろして、わけのわからない怒りでいっぱいになっている。もし吐き出すことで死に至らしめる言葉があるのであれば、わたしはたぶん大きな声でそれを彼女に向かって投げかける。

誰のことも愛していないくせに愛されたいと願うなんて虫がよすぎると思った。結局彼女は誰からも愛されたいだけで、そのくせ誰のことも愛してなんかいなかった。嫌いなものがないってことは、好きなものもないってことだ。相反する大きな感情の、片方だけがないなんて歪だ。なにかを愛するためには、同時になにかを嫌いになれる覚悟が必要なんだと思う。彼女にはそれがない。

お姉ちゃん。わたしがお姉ちゃんの神様になってあげるよ。いつまでもいつまでもそばにいて、わたしはお姉ちゃんが都合よく、傲慢に、なにかを与えられるのを待っているだけなのを、見届けてあげるよ。

彼女の手首には、切られた跡がいくつか残っている。大きな愛で包み込む、誰かの神様の手首がこんなだなんてね。愛が、聞いて呆れる。
2013.08.25 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
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