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#寄り添う孤独
友だちの誘いでDJデビューすることになった。下北沢にある、30人も入れば満席になるような小さなお店で。前に好きなバンドがそこでクリスマスにライブしてたのを観に行ったことがある。そのライブはすごく温かい雰囲気で、隣に座ってた知らない女の子と話したりして気がつけばすっかり仲良くなっていた。いまでもたまにいっしょにイベントに行ったりする(たまにって言っても年に1、2回くらいだけど)。そのときのイメージがあるので、正直その店でクラブイベントというのが想像もつかなかったのだけど、始まってみると案外悪くなかった。こじんまりとした手作りのクラブイベントという感じがして、僕は割と気に入った。

僕の出番は2番目で、最初のひとの持ち時間が30分だったから、イベントが始まってすぐくらいから僕は緊張していた。DJってやってみたら案外いけるんじゃないかと根拠もなく思っていたけど、思いのほか難しかった。その場で曲を選んでかけるんじゃなくて、初めから流れを決めておいて、2枚のCDに焼いて、それをつないでいるというのも初めて知った(まあそれは友だちのやり方であって、その場で即興で選曲してるひともいるかもしれないけど)。僕の出番はあっという間に終わった。初めはうまくつなぐということに必死で、そのうちだんだんとみんなの反応を見られるようになってきたかなと思ったら持ち時間が終わった。自分がたのしかったかどうかもよくわからなかった。

それからは一観客としてたのしんだ。緊張をほぐそうと思って出番前に友だちに勧められるままにテキーラをあおったのだけど、緊張で酔うどころではなかったのが、出番が終わって一気に酔いが回ってきた。それからはもうなんでもたのしかった。たのしんだもん勝ちという気分になった。誰とでもたのしく話せたし、たのしくない要素はなにもなかった。くだんの女の子も遊びに来てくれてたのだけど、彼女とだけはなんだかうまく話せなかったのだけが心残りだった。

トリのひとが、僕が東京に出てきたころよく聞いていた曲を流した。それで一気にこの2年半のことが走馬灯のように駆け巡ってきた。酔いのせいもあったのだと思うけど、僕は深い感傷に浸った。みんながたのしく騒げば騒ぐほど、僕はひとりになっていく。酔ったせいで少し詰まったように感じる耳でその曲を聴きながら、僕はなんだか少し泣きそうになった。

九州の片田舎から東京に出てきて、まずひとの多さに驚いた。カフェやなんかでもひととひととの物理的な距離が近い。それなのに心理的な距離は遠くて、周りにたくさんひとがいるのに孤独を感じる。周りにたくさんひとがいるから余計にかもしれない。ここは完全に独りになれる場所だと思った。

金曜の夜に、こうやって孤独が集まって思い思いにたのしんでいる。あれから僕にも東京の友だちができたけど、東京の友だちっていったって他県から出てきたひとが多いし、彼らと遊んでいても、なんだか孤独が寄り添っているという感じがする。変にベタベタしない適度な距離感が僕は好きで、東京って孤独にやさしい街だなあと思う。大好きな街なんだけど、今月末に僕はこの街から去る。孤独じゃなくなるのがいまはとても淋しい。みんなたのしそうに踊っていて、この曲がずっと終わらなければいいのにと思っていた。
2013.09.25 Wednesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#誰かの神様
彼女はよく抽象的、概念的なことを口にした。それはつまり、生きることの意味だとか、愛だとかそういうこと。話の輪郭がうまくとらえられない。何事も正しいような気もするし、何事も正しくないような気もする。具体性の乏しい話にゆくあてはなかった。

彼女はよく、誰かの神様になりたいと言った。誰かの神様になりたい。たぶん誰かっていうのは誰でもなくて、きっとこの世のすべて。世界のすべてを愛したい。誰もなにも嫌いになりたくない。地球全体を包み込む大きな愛のようなものになりたい。わたしはふうんとしか言えなかった。

わたしは万物を愛したいと思ったことがなかった。なにも嫌いになりたくないと思ったこともなくはないけど、それでもムカつく上司はやっぱりムカつくし、好きになれない、嫌いでしかない。嫌いなひとやものはわたしのなかにどうしても存在する。そんな風に思ってしまうわたしは彼女より狭量なのかなと考えてしまう。

彼女は簡単に手首を切った。死のうとしているんじゃなくて、彼女にとってはたぶん爪を噛む癖みたいなものなのだろうと思えた。軽々しかったからだ。わたしはその行為がどうしても受け入れられなかった。当たり前だ。彼女が手首を切ったことを知るたびに、胸のあたりが不快になった。吐き気を覚えた。なのに言う言葉がなにもなかった。やめなよ、とは言わなかった。それはたぶん、わたしが彼女に対してほんとうに狭量だから。単に、ああそういうアピール要らないな、と思っただけだった。

吐き気を覚える理由はわかっている。それが、愛されたいというアピールだからだ。そして、それをきちんと言葉にしないからだ。態度としても反語的だからだ。かまってほしいときにかまってほしいとストレートに態度に示さないのがわたしはほんとうに嫌い。「○○に行こうと思うんだけど」みたいな感じで、「〜だけど」で止める言い方がほんとうに嫌い。「あ、うん、どうぞ行ってらっしゃい」と思ってしまう。「いっしょに行かない?」とどうしてストレートに訊けないのだろう。どうして全部を相手に任せようとするのだろう。相手に選択肢をすべて委ねることは、やさしさでもなんでもない。怠慢だ。

つまるところわたしは愛を試されるのが嫌いなのだ。ほらまた。やっぱりわたしはいまもこうやって嫌いなものをひとつ積み上げている。自分の狭量さを自覚する。

わたしはいま病室にいて、眠っている彼女の顔を見下ろしている。誰かの神様は穏やかに眠っている。彼女は昨日家にあったくすりを大量に飲んで病院に運ばれた。胃洗浄をした。誰かが試そうとした愛は、臭い吐瀉物になって吐き出された。お医者さんも大変だなあと思う。わたしは自分のなかに沸き起こる吐き気の正体をいまはっきりとつかむ。怒りだ。得体の知れない怒りが胸のあたりでざわざわする。たぶんそれを抑えようとしたのが吐き気として表れたのだろう。わたしはいま穏やかに眠っている誰かの神様を見下ろして、わけのわからない怒りでいっぱいになっている。もし吐き出すことで死に至らしめる言葉があるのであれば、わたしはたぶん大きな声でそれを彼女に向かって投げかける。

誰のことも愛していないくせに愛されたいと願うなんて虫がよすぎると思った。結局彼女は誰からも愛されたいだけで、そのくせ誰のことも愛してなんかいなかった。嫌いなものがないってことは、好きなものもないってことだ。相反する大きな感情の、片方だけがないなんて歪だ。なにかを愛するためには、同時になにかを嫌いになれる覚悟が必要なんだと思う。彼女にはそれがない。

お姉ちゃん。わたしがお姉ちゃんの神様になってあげるよ。いつまでもいつまでもそばにいて、わたしはお姉ちゃんが都合よく、傲慢に、なにかを与えられるのを待っているだけなのを、見届けてあげるよ。

彼女の手首には、切られた跡がいくつか残っている。大きな愛で包み込む、誰かの神様の手首がこんなだなんてね。愛が、聞いて呆れる。
2013.08.25 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
#忘れてもいい
東北にいる友だちとひさしぶりに電話で話した。彼女とは一度しか会ったことがないのだけど、わたしは彼女をとても大事な友だちだと思っている。Twitterがきっかけで知り合って、趣味が共通していたので仲良くなって、よくやりとりをしていた。彼女が出張で神奈川に来るというので、わたしも都合をつけて彼女に会いに神奈川に行ったこともある。もう3年くらい前のことだ。

彼女は最近仕事で気が滅入っているようだった。別にどうにかしたいとかそういうのじゃなくて、ただなんとなくおやすみと言いたかったので電話をかけてみた。彼女はびっくりしていた。わたしもどきどきしていた。彼女の声は2年前に電話で話したときに聞いたっきりだったので、そういえばこんな声だったなあと思い出しながら話した。元気? と訊くと元気だよと言う。まあそう言うよね。あなたならね。なんかそういうCMあったなと思った。

なんかしんどそうじゃん、と言うと、彼女はまあねと言っていまいる職場での悩みを大まかに話してくれた。言ってしまえばそりが合わない同僚がいて、それが原因で仕事がいろいろとうまくいかないといったことなのだけど、そういうのって他のひとからすればこうしたらいいじゃんと言えるのだけど、絡まった糸はそうも簡単に解けてくれないからシリアスなのだ。わたしは結局、まあいざとなったら仕事辞めちゃえばいいよわたしみたいに、という大して役に立たないアドバイスをするにとどめる。そうだね、と彼女は答える。

そうもいかないのが彼女のいまの立場なんだろうな、とわたしは想像する。彼女は両親を亡くして、それからは彼女がひとりで大学生になる弟の面倒をみている。大変だろうな、と思う。だけどそんなことわたしが思ったって現状はなにも変わらないし、思いやるっていうのがわたしには最近よくわからない。やさしさがなんなのかわたしにはよくわからない。

あーやっぱりあなたと話しているとちょっと楽になる、と笑いながら彼女は言う。どうして、とわたしは訊く。なんていうかね、気を遣われている方がこっちも気疲れする。あのさ、よく震災のこと忘れないでいようみたいなこと言うひといるでしょう。わたしたちにできることはそれくらいしかないけど、忘れないでいることはできる、みたいな。ああいうのって、わたしからすればちょっと酷。忘れたいひとだっているんだよ。それもたぶん少なくない数のひとがそう思ってる。少なくともわたしはそう。なのに周りは忘れないでいようって、ちょっとそれ却って苦しいんだよねわたしには。わたしは忘れたい。風化させたい。よく覚えてないことにしたい。あなたと話してるとね、ああ、このひとは忘れてるなって、それはいい意味でなんだけど、なんか変に気を遣ってさ、腫れ物に触るような感じで、タブーがある感じで、ちょっと特別なものとしてわたしを扱うんじゃなくて、たとえばわたしが左利きだったりするのをああそうなんだって思ってそれで終わり、それでスルーみたいな感じで扱ってくれるのがさ、わたしにとってはすごく楽なんだよ。

わたしはえー左利きだったっけ、と言い、彼女はそうだよいっしょにご飯食べたときに左利きなんだねーって言ってたじゃんと返し、じゃあねおやすみと言って電話を切った。
2013.07.30 Tuesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#高速道路
高速道路を走っていた。私が運転して、助手席にはマツムラさんが座っている。高速道路を走っていると音楽はボリュームを相当上げないと聞こえない。別に私にはそこまで聴きたい音楽があるわけでもなかったのだけど、ラジオをつけていると地域が変わった途端にノイズになってチューニングし直さなければならないから、カーステに入っているむかし好きだった曲をそのまま、小さい音で流しっぱなしにしていた。聞かれると少し恥ずかしい気がするから、とても控えめなボリュームで。

当然だけど運転中は他にやることがない。目的地に着くまで桃鉄でもしますかというわけにはいかない。私は運転をしなければならない。できることといったらおしゃべりくらいしかないので、私たちは目的地に着くまでの2時間近く、いろいろなことを話した。マツムラさんは物知りで、物知りといっても知識が豊富というより知恵があるという感じで、AとBとCのことを知っていたら、そこからDとかEとかFのことを推察できるようなひとだったので、私はマツムラさんの話が好きだった。私たちは景気や経済、株価、今度の選挙の話などをした。選挙後に株価の値動きがどうなるのか、それを考慮に入れたときいま買うべき株はなんなのかみたいな下世話な話だったのだけど。

1時間ほど走ってサービスエリアで休憩する。マツムラさんは免許を持っていないので、私が運転するしかない。私はそんなに運転は嫌いではないけど、神経を使うしやっぱり疲れるのは疲れる。お手洗いを済ませて、飲食コーナーにあるフリードリンクのお茶を飲む。小腹が空いたのでおやつでも買おうかなあと思っていたら、マツムラさんがどっさりと何か買っていた。

「何買ってるんですか?」
「なんかねちゃねちゃしたやつ。奥さんが喜ぶから」

正式名称があるのだろうけどよく知らないねちゃねちゃした餅とどら焼きの間の子のようなお菓子を私たちはみな「ねちゃねちゃ」と呼んでいたのだけど、それを5個くらい買っていた。

私たちはまた車に乗り込む。

「奥さんと仲いいですねえ」
「うん」
「何年ですか?」
「いっしょになって? 結婚して20年。付き合ってからは25年経つかな」
「よく飽きませんね」
「そりゃあ好きで結婚したからねえ」
「いやあそれでも、25年もいっしょにいたら飽きませんか?」
「あー、全然飽きない」
「ふえー」
「まだまだ知らないことたくさんあっておもしろいよ」
「そうですか……すごいなあ」

マツムラさんもマツムラさんの奥さんも、臆面もなく互いを愛していると言えて、いつもたのしそうに過ごしている。私はこの夫婦が好きだし、とても憧れる。彼らには子どもがいないのだけど、それがよかったのかもしれない。子どもがいたらいたで素敵な家庭を築いているかもしれない。いずれにしても、私は彼らが自分の描く夫婦のお手本だと思っているし、こういうのが愛っていうんだろうなと思う。
2013.07.11 Thursday ... comments(0) / trackbacks(0)
#469
大学の仲が良かったメンバーで数年ぶりに集まろうということになって集まった日の帰り、私たちは夜中の大学に行ってこれまた十年ぶりくらいにサークル棟にある部室に行った。私たちは軽音サークルでクリシェというバンドを組んでいた。部室の鍵はサークル棟の入口のポストのところに入れてある。ポストの南京錠の番号は「469」。「死ぬまでロック」と覚えろ、と部長に言われた。当時は番号を思い出すために無条件で覚えていただけだけど、いま思い返すとその覚え方は相当にダサい。相変わらずその番号でポストが開いてしまうところもダサい。

私たちは鍵を開けて部室に入る。狭いうえに閉め切られた部屋、タバコと酒とすえた匂いの混じった独特の空気。私はなにかを思い出す。だけどなにを思い出しているのか、輪郭がうまく掴めない。酔った頭で私はなにかを思い出していることだけを感じている。

宮村くんがドラムを叩き出した。22時過ぎてるけどいいのかな。しかも私たちもう部外者だぞ。もともと宮村くんはギターだったし、ドラムはそんなに叩けない。荒井が代われよと言ってドラムを叩き出す。宮村くんはそこにあったチューニングの合ってない黒いギターを手に取る。部屋を見回すと、なにかよくわからないもの(蛍光灯の包装の長いふにゃふにゃの段ボールっぽいやつでできた筒とか模造紙とか)の奥に、ベースが立てかけてあるのを見つけた。ベース触るの何年ぶりだろう。弦が3本しかない。1弦が張られていない。「6弦は混沌、1弦は虚勢を鳴らす」と目の据わった梶くんが言う。相変わらず意味がわからない。こう見えても梶くんはいまでは立派なお医者さん。当時の梶くんはギターボーカルだった。「フジイさあ、ベース1弦なんかなくてもいけるよ」梶くんは言う。「俺はギターすらないけどいける」

「なんか曲覚えてる?」荒木が言う。みんな「惰性で弾ける」というくらい演奏してきた、初めてこのバンドで作った曲を合わせてみる。意外といけるもんだ。相変わらず惰性で弾けた。ベースを弾きながら私はまたいくつかのことを思い出していた。今度はさっきより少しだけ輪郭が見える。たいていは失ってきたものごとについて。私はいまになってようやく失ってきたものを失ってきたのだと自覚した。取り戻せないことも、取り戻す気すらないことも自覚した。梶くんのつたない英語が「あの夏の日のことは今でも思い出せるよ」といった意味合いの歌詞をうたっている。それに合わせてコーラスをうたう私は、あの夏の日のことなんてもうすっかり思い出せずにいる。あのころわかっていた歌詞の意味すら、すっかりわからなくなってしまった。さっきから南京錠の469という番号がぐるぐる廻っている。
2013.06.19 Wednesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#刃物
ひさしぶりの梢からの電話は、ゆかりんが自殺したというものだった。

わたしと梢とゆかりんは高校時代の友人で、高校を出てからもたまに会っていた。もうひとり、ワダエミという友だちもいたのだけど、彼女とはある日を境に疎遠になってしまった。

ゆかりんと最後に会ったのは去年の忘年会ということになる。仕事納めも終わった12月の29日とか30日とかに、わたしたちは3人でささやかな忘年会をする。別にそう決めたわけでもないのに毎年の恒例行事になっている。もう7、8年は続いている。わたしたちはどうでもいいことばかりしゃべる。わたしとゆかりんはそんなにお酒が強くないのだけど、この日だけはなんとなく飲み足りないという気になる。ほんとはたぶん「しゃべり足りない」の方が正しいのだろうけど。居酒屋を出ると、誰かの家で飲んだりファミレスに行ったりゲーセンに行ったり散歩したりして夜通ししゃべっている。年末だから街は静かで騒がしい。わたしたちと同じようなひとたちが特に理由もなく起きていて、夜通し遊んでいる。今年し忘れていたなにかを取り戻そうとするかのように。

わたしたちは30も目前だというのに誰も結婚していなくて、それなのにたいした焦りもなくて、幸せで平和だ。梢やゆかりんと会うと、わたしはそのことを強く思う。

12時間以上いっしょにいると、話のなかに一度は必ずワダエミが出てくる。なにしてんだろうね今ごろ。生きてんのかな。さあどうだろうねえ。そういう話をするとき、ゆかりんはあまり口を開かない。ゆかりんは基本的にひとの悪口を言わない。ほんとうにやさしい子なんだろうと思う。いい子ぶってるとかそんなんじゃない。

ワダエミと疎遠になったきっかけは、成人式のあと、みんなで集まって飲んだときのことだ。

高校を出てバラバラになったわたしたちは、成人式のあと、ひさしぶりに4人で集まった。中学とか高校の同窓会もあったみたいだけど、わたしたちはそういうのに出るようなクラスにきちんと馴染めた存在ではなかったし、周りも別にわたしたちがいなくてもいいようだった。嫌われてたってわけでもなかったけど。

ワダエミはわたしたちのなかではいちばんもてた。高校のころも、わたしたちが知ってる限りでも3人の男の子と付き合って、別れた。ワダエミは特に派手という感じでもなかったし、男の子に甘えるような感じでもなかった。ただ、はかないっていうのだろうか、そばにいて誰かが支えてあげなきゃと思わせるような雰囲気があった。それが男の子たちの心を妙にくすぐったのだと思う。だけどワダエミと付き合った男の子たちは、1年とそばで支え続けてあげることはできなかった。ほとんどの関係は半年足らずで終わっていた。

ワダエミはよく、自分のことを卑下した。そのたびにわたしたちは「そんなことないよ」と言うのだけど、そんな慰め、本人の心の深いところにはまったく届かない。「そんなことないことないんだよ」「みんなわたしのこと知らないくせに」みたいなことを言われる。そういうことを言われ続けていると、わたしたちはもうなにも言えなくなってしまう。なにを言っても無駄。なにを言ってもまったく届かないひとがいるのだと、高2の終わりごろに知った。わたしはワダエミを慰められない自分を無力に思った。自分を無力だと思うのはせつない。かなしい。みじめな気持ちになる。疲れる。そうして、ワダエミの方が苦しんでるのにと思うと、わたしはわたしのこの無力感自体が意味のないもののように思えてくる。わたしはだんだんワダエミに不必要に傷つけられているような気持ちになった。

行き過ぎた自己嫌悪は周りを傷つける。

正直わたしはワダエミのことをどうでもいいと思うようになってきた。そんななか、ゆかりんだけはワダエミの話にずっと付き合っていた。ゆかりんはやさしくて強いな、と思った。

成人式のあと、ひさしぶりに集まったわたしたちは他愛もないおしゃべりをした。約2年ぶりに集まったわたしたちは、あのころと同じように話すことができた。それぞれのいまの生活を話し、だいたいが高校のころの放課後の延長みたいな時間を過ごしていることを確認した。そんななか、ワダエミだけが自分以外の生活をうらやんだ。

わたしと梢は2年ぶりに集まったのにまたこれか、と苦笑した。最初の30分くらいは付き合っていられるけど、それ以上聞いているとうんざりしてくる。ゆかりんは相変わらずきちんと聞いていた。梢と小声で、ゆかりんすごいね、と話した。

そのうちワダエミは、ゆかりんのことを少し悪く言い始めた。ゆかりんだけだよわたしの話きちんと聞いてくれるの。梢も里美もわたしのことなんかどうでもいいと思ってるみたいだし。ゆかりんだけがちゃんと聞いてくれてる。だけどわたし、ゆかりんに話聞いてもらってると、みじめな気持ちになるんだよ。わたしゆかりんよりも劣ってるんだっていう気持ちになる。そういうの、ゆかりんにはわかんないだろうけど。ゆかりんには余裕があっていいよね。いつもいつも。わたしの話を聞ける余裕があって。ほんとうらやましい。もうみんな嫌い。世界でわたしひとりになれればいいのに。ひとりで生きていきたい。わたしときどき自分が嫌になって死にたくなるんだけど、そういう気持ちわかんないでしょゆかりん。

わたしはいいかげんうんざりした。わたしや梢のことを言われるのはまだ我慢できるけど、最後まで熱心に話を聞いてくれてるゆかりんを悪く言うのには呆れ果てた。かまってちゃんもいいかげんにしろ。あまり飲んでいなかったはずのアルコールが一気に身体中にまわるのを感じた。気持ちが悪くなった。口の中のカシスオレンジの後味が、やけに甘ったるく感じた。吐き気がした。

ゆかりんはうつむいて黙っている。右手のほうに置いてあったバッグを手繰り寄せ、そのなかに入っていたペンケースから、カッターナイフを取り出した。刃を出せるだけ目一杯出した。そして一言、

「もう死ね」

と言った。

わたしたちは全員あっけにとられた。数秒の沈黙が数分に感じられた。やがてゆかりんは口を開いた。

ワダエミがわたしたちの前で自分のこと悪く言うたびに、わたしたちは傷ついてるんだよ。自分のこと無力だって思わされるんだよ。ワダエミに。何度も何度も。ワダエミはここまで深く傷ついてるの世界でわたしひとりみたいな顔平気でしてるけど、アンタのそのおこがましくて身勝手な傷つき方が、わたしたちをどれだけ傷つけてきたか考えたことある? ないよね。そりゃあ世界でいちばん傷ついてたら、わたしたちのこと思いやったりする余裕ないよね。わたしには余裕があって、アンタのこと上から目線でかわいそうかわいそうと思ってるからアンタに同情してやってんだ。つきあってやってんだ。感謝されこそすれ、皮肉言われる筋合いはないよ。里美も梢も別にアンタのことどうでもいいと思ってないよ。どうでもいいと思ってるのはアンタでしょ。ワダエミだよ。ワダエミの方こそわたしたちのことどうでもいいと思ってんの。どうせ気付いてないだろうけど。アンタはね、自分のことダメだダメだって言える相手なら誰でもいいの。壁でもいいの。梢や、里美や、わたしでなきゃいけない理由なんてないの。取っ替え可能なの。誰でもいいの。気付いてなかった? ワダエミね、自分のこと話すときたいていわたしたちのこと見てないの。ひとりで生きていきたいんなら黙ってひとりでどっか行けば? 「ひとりで生きていきたい」ってわざわざわたしたちに言う意味ってなに? 死にたいってわざわざわたしたちに言う意味ってなに?

わたしたちは黙っていた。ゆかりんから堰を切ったように流れる言葉は、聞いていてすごく痛かった。なぜだかわからないけどゆかりんをおもいっきり抱きしめたかった。もういい。もういいよゆかりん。なぜだかわからないけど、わたしはゆかりんに泣いて謝りたかった。

ワダエミは黙って出ていった。わたしたちは3人で4人分の会計をした。ゆかりんが「ごめーん、わたしのせいで3人で4人分になったー」と言って、わたしたちは笑った。「責任もってゆかりんが2人分払えよ」と梢が言った。「えー」とゆかりんが言った。そう言いながらわたしたちはみなそれぞれ2人分のお金を出す。見つめ合って笑う。

ゆかりんのお通夜で、ひさしぶりにワダエミの姿を見た。梢とわたしはワダエミとあいさつ程度の話をした。ワダエミはぽろりと「なんでわたしじゃなくてゆかりんだったんだろう」と言った。

それだよワダエミ。そういう言葉がひとを傷つけるんだよ。不必要に、不用意に、ひとを傷つけるんだよ。わたしは心の底から思いを込めて「そうだね」と言った。ゆかりんの長くなかった人生を、最後の最後まで冒涜された気がして、わたしは大声をあげて泣いた。
2013.06.04 Tuesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#Ctrl
もうかれこれ6回目の高校2年生をやり直している。こないだは26歳までいった。高校を出て浪人して大学に入って卒業して就職して結婚までした。完全に忘れてた。10年。10年も経てば完全に忘れてしまう。油断してた。完全に忘れてた。

最初は3か月だった。高2の秋だったのが夏に戻った。最初なにが起こったのかわからなかった。夏の終わりに別れた彼女と付き合っている状態に戻った。よくわからなかった。よくわからないけどそれなりに過ごしてたら、やっぱり夏の終わりに彼女と別れた。

次は1年だった。高3の夏。めっちゃ勉強させられたし自分でもがんばったと思えるくらい勉強したけど、高2の夏に戻った。当時次の彼女と付き合っていたけど前の彼女と付き合っている状態に戻って、夏の終わりに別れて、冬にいまの彼女と付き合うようになって、3年になって彼女とクラスがいっしょになって、夏の手前で部活を引退して、7月8月はめっちゃ勉強した。めっちゃ勉強したのに高2の夏に戻った。

その次は2年だった。忘れてた。ひさしぶりに思い出した。ある日ふっと高2の夏に戻ってしまうということを。みんなわかってて同じように過去をやり直している。前に通った道と同じ道を通っている。浪人していた俺は受験をもう一回やり直せると思った。が、結局また落ちた。

その次は7年。大学を卒業して、就職もした。仕事に慣れてきた。その矢先。また高2に戻った。

この繰り返しにもいいかげんうんざりしてきたところだったので、仮説を立ててみた。この世界で誰かひとりだけ、人生をやり直すことができている。ある時点に戻ることができて、俺たちはそれに付き合わされているだけ。この仮説はちょうどWordで作業をしててCtrl+zを押して直前の操作をやり直すときにひらめいた。

だとしたらお前「直前の操作」どんだけ範囲広いんだよ! 直前っつったって年単位だぞこれ! ふざけんなよ! お前のやり直しのために俺は何回受験に失敗したり彼女にふられたりすればいいんだよ!

などと仮説に腹を立てても仕方ないので、仕方なく、淡々と高2の夏をやり直してる。確か明後日くらいに彼女にふられる。
2013.05.28 Tuesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#白衣の意味
高校のころ、数学の先生が白衣を着ていた。白衣? と思った。……

小学生のころ、割り算をならったときに「0で割ってはいけない」と習った。なぜ0で割ってはいけないのかは教えてもらえなかった。気になった。なんかなんとなくこわかった。理由に触れられないで授業が進められたので余計に怖かった。……

 椨
数学というものはみなさんが思っている以上に危険な学問です。舐めていると怪我をします。最悪死にます。この前も三角関数の加法定理(sin(α+β)=sinαcosβ+cosα+sinβ)を「幸子小林小林幸子」という意味のわからない覚え方をした高校生が、横断歩道を渡る途中信号無視をしたトラックに撥ねられるという痛ましい事件が起きました(余談ですが私は元素の周期表18族(希ガス)を「変な姉ちゃんある日狂ってキッス連発」と覚えました。覚えさせられました。いまだに覚えています)。他にも任意の点Pを舐めてかかった千葉県在住の高校生Mさんが、任意の点Pに貫かれて死にました。他にも数学を舐めてかかって痛ましい結果になった例は枚挙に暇がありません。

いまだに全国的に見られる数学を舐めてて大怪我をする事例が「0で割る」というもの。小学校で除法(割り算)を教えるため、特に興味本位でなんでもやってしまう好奇心旺盛な小学生がよく怪我をします。小学校では「0で割ってはいけない」というルールだけを教えるため、それがなぜなのかわからないままなのですが、「除法は乗法の逆の演算である」と考えるとその理由もわかりやすいでしょう。

( )÷5=3

( )に入る数字はなんでしょうか。15ですね。これはすぐにわかると思います。みなさんはいま半ば無意識に、解を求めるために5×3という計算をしたはずです。では次。

3×( )=0

( )に入る数字はなんでしょうか。0ですね。0は、どんな数字をかけても(かけられても)解が0になるという性質を持っています。では0で割った場合はどうなるのでしょうか。

3÷0=0

なんとなく正しいような感じもします。0をかけると0になるのなら、0で割っても0になりそうな感じがします。では最初の式と見比べてみましょう。

いま、最初の式の( )を求めるために5×3という計算をして15という解を得ました。この考え方でいくと、3÷0=0ならば、0×0=3となってしまいます。そんなわけないですよね。ということで小学校では「0で割ってはいけない」と教えているのです。

しかしそんななか、数字を0で割る危険性を顧みず、その命題に挑むものたちがいた。数学者――ひとは彼らをそう呼ぶ。しかし彼らのなかには志半ばにして0で割る研究を諦め、中学や高校の数学の教員になるものも少なくない。研究はしたいが生活もしていかなければならぬ。しかし、この熱く煮えたぎる想い(なんだかんだ言っても0で割れんじゃね? っていう想い)までも棄ててしまったわけではない。あのころ(とにかく数字を0で割ろうとした時代)、危険を顧みず研究に没頭したあのころ身にまとっていた白衣。私がいま教壇に立つときに白衣を身に着けているのは、あのころの情熱(な? ほんとは0で割れるんやろ? というしつこさ)を失ったわけではないということの表明だ。それとともに、いま私が数学を教えている生徒たち、この子たちのためなら、いまでも私は危険を顧みず自らを犠牲にしても数字を0で割ってみせるという表明でもあるのだ。

みたいな理由で白衣を着ているのだとしたらカッコいいなって思った。
2013.05.28 Tuesday ... comments(0) / trackbacks(0)
#意味がない
彼女の家には大きな本棚がある。彼女は本をよく読む。難しそうな本からデザイン系の本、なんとカテゴライズしたらいいのかわからない本(たぶん大きな書店で「サブカルチャー」とかに分類されるようなやつ)、文庫、マンガまでさまざまな本が並んでいる。彼女の家に行くようになって、僕は本がちょっと好きになった。これまでろくに本なんて読んだことなかったのに。ネットとかでよく見る村上春樹というやつのも読んでみた。あんまり意味がわからなかったけどおもしろかった。「海辺のカフカ」っていうのがおもしろかった。

そのうち僕も本を買いたくなって、本屋さんでなにか本を買うことにした。とりあえず村上春樹の新刊だとかいう「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」っていうのを買ってみた。1,785円もした。本って高いんだな。みんなほんとうに2,000円近くも出してこの本を買ったのだろうか。

そして読んだのだろうか。

買うまではよかった。買ってからもよかった。なるほど、本を買って、それを読みたいと思いながら家に帰るのはたのしかった。どんなお話なんだろうとわくわくした。だけど、家に帰ると一気にその気持ちが失せた。読む気がしない。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」っていうタイトルの意味がさっぱりわからなかったし、なんで僕がそんなタイトルの意味がさっぱりわからない本を買ったのかももうさっぱりわからなかった。表紙の意味もわからなかった。と、とにかくいろんなことに難癖をつけてしまいたくなるほど読む気がしなくなっていた。

みんなすごいな。本を買ったひとはみんなほんとに本を読んでいるのだろうか。買って帰るときのあのわくわくは認める。あれはたのしかった。だけど、そのあとみんなほんとに読んでんの? みんなほんとにそんな自発的な努力をしてるの? 仕事でもないのに? 仕事終わって疲れて帰って、家でもまだそんなにストイックに過ごしてるの? ほんとに?

それがほんとかどうかをよーく知ってる好例が身近にいた。僕は早速彼女の家に行って、上述のようなことを話した。すると彼女は言った。

「きみにとても合ってると思う本屋さんがあるよ。明日行ってみよっか」

ということで彼女に連れてこられたのは、なんかこぎれいな本屋さん。それほど大きくはないけどいろんな本がある。どれも表紙がそそる感じがする。つい手に取ってみたくなる。そして、つい買いたくなる。

どうしようという顔をしているのがわかりやすかったらしく、彼女は「買いなよ、そんな高いもんでもないし」と言った。そうは言われても僕のお金なんだけどな。と思ったけど迷った挙げ句買うことにした。「らくだこぶ書房21世紀古書目録」っていう文庫。文庫のくせに1,050円した。だけどその値段分だけのことはある。写真がいっぱいあったし、ぱらぱらと見ただけだけど、本の紹介をしてある本みたいだった。

やっぱり帰りはわくわくした。どういう本なんだろうと思った。帰って読むのがたのしみだった。

彼女の家に帰ってきて、おなかがすいたのでご飯にすることにした。彼女は昨日カレーを作ったらしく、それをあっためて食べた。彼女はおつまみを食べながらビールを飲んでいた。テレビを見るともなく見ながらまったりした。まったりした。まったりしたら、途端に本を読む気がしなくなった。「本読まないの?」と彼女に訊かれたので「そんな気分じゃない」と答えた。「でしょ」と彼女は言った。

「じゃあ行こうか」彼女が靴をはき出した。

「えっどこ行くの」
「本屋さん」
「また?」
「さっきの本持ってきて」
「えっなんで」
「いいから」
「えっ僕も行くの?」
「当たり前でしょ」

ということで僕たちはまた、さっきの本屋さんに来た。さっき買った本を持って。彼女がお店のひととなんか話してる。僕に手招きをする。

「おたのしみいただけましたか?」
「えっ、や、まだ読んでないですけど」
「ええ。ですから、そちらの本を買って、帰られるときの気分を、お楽しみいただけましたか」
「ああ、うん、それは、はい」
「その気分に値段をつけるとしたらおいくらくらいですか?」
「うーん、200円かな」
「では850円のお返しになります」

といって小銭を渡された。本は引き取られていった。

「ここはね、本を買って帰るときのあの気持ちを味わえる本屋さんなの。もちろん、きちんと買って帰ることもできるけど」

えっなんだそれ、と思った。意味なーいと思った。本を好きなひとってみんなこうなのかな。いやまあ、確かにわくわくはしたけど。なんか、なんなんだ。
2013.05.25 Saturday ... comments(0) / trackbacks(0)
#生き物の気配
帰ってきたときに自分以外の生き物がそこに居て、絶えずこの部屋の空気をほんの少しでもかき混ぜているということを想えば、わたしにはそれだけでこの部屋に帰る理由があるというものだ。たとえその生き物が何も言わない動物だったとしても。
2013.04.25 Thursday ... comments(0) / trackbacks(0)
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